我が故郷、倉敷美観地区
久しぶりに原点回帰の為に美観地区を訪れた。我が故郷である。子供の頃は美観地区のごく近くに住んでいて、この写真の辺りは自転車で散々走り回ったところだ。
幼少の頃よりの本当の地元であり、馴染みのあるところで、かつ私が独立起業し、古民家再生や和住宅に取り組みはじめた頃、繰り返し繰り返し訪れスケッチをし、勉強した場所である。
私が今の仕事をしているのも幼児の頃より母親に連れられてこのあたりにいつも来ていたことの影響は大きいと今更ながら思った。
重要文化財、大橋家(一枚目)に行ってみた。ここも昔から何度も来るところで、私の母方の祖父がお抱えの左官として半世紀に渡ってメンテナンスをしてきた。もうずい分前に亡くなったがここへ来ると祖父の仕事に出会える。
この日は「すいんきょ」が出ていた(三、四枚目)。子供の頃からよく泣かされた。この「すいんきょ」の他にも「阿知の鬼」というのがいて、これまた親の背中に隠れながら逃げ回ったものだ。僕らが子供の時は子供が泣き叫ぼうが逃げ回ろうが容赦なくやってきてうちわで叩かれたものだが、ご時勢であろうか、親に遠慮してであろうか子供が泣きだすとお面をとってあやしていた。僕らのころはあくまで「すいんきょ」や「阿知の鬼」がお面を取ることはなかったから、本当にそういう怪物だと思っていた。子供に恐いものがあるということを教えるのは大切なことだと思う。
建築家の楢村徹氏が再生した「林源十郎商店」を訪れた。再生されたのはごく最近のようで、うっすらとした記憶、幼少の頃のかすかな記憶だが・・・・・ここに昔、薬屋があったように思う。本当に暗いイメージだった。それが元のデザインを生かしながらも見事に現代に再生されていた。とても「いい感じ」だ。
中は店舗になっていて、記念館を訪れてはじめてここが「エバルス」発祥の地であると知って驚いた。日建設計にいた頃にも独立してからも病院の設計などに携わる時にいろいろと一緒に仕事をさせてもらったが、倉敷が発祥の地だとは知らなかった。
屋上も整備されていて、デッキからは美観地区近辺が一望できる(六枚目)。どこも私にとっては思い入れがある建物ばかりだ。本当に倉敷の街は美しい。幼少の頃の私の記憶は美観地区の景色と共にある。
保存や再生ができなくて経済理論の中で撤去された建物もある。記憶の中の景色が欠落してしまう。このたびも昔、土曜夜市のたびにおもちゃを買ってもらった店が撤去されて公園となっていることに気付いた。「あ、あの店がない!」とても寂しく思った。
私は現在は諸事により市街から少し離れたところに住んでいるが、私の心の中ではやはりこのあたりが故郷なのだ。ある時期がきたら私自身は必ずやまた倉敷の中心地に居住することになるであろうと思っている。
祖先が住んできた地に。
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先日5年ほど前に古民家再生させていただいた民家にお邪魔した。トップライトの電動ブラインドに不具合が生じたからだ。
花見に行きました。
現在、古民家再生中の現場、既存の天井を下から撤去し、とうとう念願の大空間が下から見られるようになりました。
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