2012.05.22

我が故郷、倉敷美観地区

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久しぶりに原点回帰の為に美観地区を訪れた。我が故郷である。子供の頃は美観地区のごく近くに住んでいて、この写真の辺りは自転車で散々走り回ったところだ。

幼少の頃よりの本当の地元であり、馴染みのあるところで、かつ私が独立起業し、古民家再生や和住宅に取り組みはじめた頃、繰り返し繰り返し訪れスケッチをし、勉強した場所である。

私が今の仕事をしているのも幼児の頃より母親に連れられてこのあたりにいつも来ていたことの影響は大きいと今更ながら思った。

重要文化財、大橋家(一枚目)に行ってみた。ここも昔から何度も来るところで、私の母方の祖父がお抱えの左官として半世紀に渡ってメンテナンスをしてきた。もうずい分前に亡くなったがここへ来ると祖父の仕事に出会える。

この日は「すいんきょ」が出ていた(三、四枚目)。子供の頃からよく泣かされた。この「すいんきょ」の他にも「阿知の鬼」というのがいて、これまた親の背中に隠れながら逃げ回ったものだ。僕らが子供の時は子供が泣き叫ぼうが逃げ回ろうが容赦なくやってきてうちわで叩かれたものだが、ご時勢であろうか、親に遠慮してであろうか子供が泣きだすとお面をとってあやしていた。僕らのころはあくまで「すいんきょ」や「阿知の鬼」がお面を取ることはなかったから、本当にそういう怪物だと思っていた。子供に恐いものがあるということを教えるのは大切なことだと思う。

建築家の楢村徹氏が再生した「林源十郎商店」を訪れた。再生されたのはごく最近のようで、うっすらとした記憶、幼少の頃のかすかな記憶だが・・・・・ここに昔、薬屋があったように思う。本当に暗いイメージだった。それが元のデザインを生かしながらも見事に現代に再生されていた。とても「いい感じ」だ。

中は店舗になっていて、記念館を訪れてはじめてここが「エバルス」発祥の地であると知って驚いた。日建設計にいた頃にも独立してからも病院の設計などに携わる時にいろいろと一緒に仕事をさせてもらったが、倉敷が発祥の地だとは知らなかった。

屋上も整備されていて、デッキからは美観地区近辺が一望できる(六枚目)。どこも私にとっては思い入れがある建物ばかりだ。本当に倉敷の街は美しい。幼少の頃の私の記憶は美観地区の景色と共にある。

保存や再生ができなくて経済理論の中で撤去された建物もある。記憶の中の景色が欠落してしまう。このたびも昔、土曜夜市のたびにおもちゃを買ってもらった店が撤去されて公園となっていることに気付いた。「あ、あの店がない!」とても寂しく思った。

私は現在は諸事により市街から少し離れたところに住んでいるが、私の心の中ではやはりこのあたりが故郷なのだ。ある時期がきたら私自身は必ずやまた倉敷の中心地に居住することになるであろうと思っている。

祖先が住んできた地に。

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2012.05.17

岡山県瓦工事協同組合通常総会に参加。

一年に一度の総会が岡山プラザホテルで行われた。毎年参加しているが、ほとほと一年が経つのは早いものだなと痛感する。ほんのこの前総会に参加したような気がしてとても一年経ったとは思えない。その傾向は年々顕著になり、自分のやろうとしていることは、できるだけ早くやらないといけないなと改めて思った。

今年の総会は、岡山県建築士会会長の藤井先生をお招きして、講演が行われた。とても興味深いお話をしていただいた。意外にも瓦屋の総会に出て、会長のお話が聞けるとは思わなかったので参加してよかった。その後の懇親会で親しくお話をさせていただいた。

それにしても、瓦屋の組合員かつ、一級建築士で建築士会の正会員であるのは岡山県下でも私くらいのものであろう。

なかなか商工会等もそうであるが、私は立場上いろいろな団体に属してはいるがほとんどノータッチだ。どうもそういうものが苦手だ。若い時に散々いろんな集団に属して、いろんな役をしてきたので、もうそういうのは自分の中で終わっているし、会社も含めて組織というのが嫌で独立して事業をやっているのだ。

だいたい同業者が集まってなんらメリットなどないと思っているし、子供の頃からみんなと同じことをやるのが心の底から嫌な自分は、あまり参加する資格がない。とりあえずみんなと同じ方向に向きたくない人間が組織に属してどうするのか?とも思う(笑)。

よく建築士でも群れている人がいる。何人かで組んで展覧会をやるなり、仕事を取ろうとしているのを見かけるが、人のことはどうでもいいとしても、私には全く理解できない。私の場合、チームでやったり、コラボでやったり、自分以外の人に気を使って仕事をしたり設計をしたりするのが嫌でサラリーマンをやめたので、またわざわざ自分以外の誰かと一緒にやるとか意見を聞くとかいうのはまっぴらごめんなのである。

私の場合、人から指示されたり命令されるのが世の中で一番嫌いで耐えられないことである。

学生のときから始まって社会人になってからも必ず人間は組織に属すれば誰かからなんやかんや言われる。組織の中で上からなんやかんや言われまいと思ったら社長にならないといけない。社長になるには大きな組織ほど階段は長く、社長にたどり着く頃にはジジイだ。部長ぐらいでは組織ではペーペーで役員にはびくびくだ。それを見ているので、若くして独立して自分の会社を作ったのだ。

今の私はだれに頼ることもなく、誰からも指示されたり偉そうに言われたりすることなく飯が食えているので、私としては本当にこれ以上はないのだ。よく独立して社長になっても下請けをして、元請けからなんやかんや言われたり、銀行に金を借り、銀行と自分とどっちが経営者かわからなくなっている輩がいるが、それでは私の場合は意味がない。だからこそ、資産を増やし、完全元請け、無借金経営を実現してきたのだ。

それをやろうと思うとかなりの努力と気合がいったが、逆に言えば私は若いころから「お前に言われたくはないわ」という誰でもが不快に思うことを、人以上に不快に思い、それを払しょくする、そういうことをなくすために今までやってきた、と言っても過言ではないのかもしれない。

もし若い人で会社や上司に文句があるなら、ぐじぐじ言わずに独立したらいい。奴隷ではないのだから独立する自由はだれにでもある。独立してそれなりに人から「あの人は成功した」と言われるようになるにはかなり大変だから、その根性がない場合は文句を言わずに組織の軍門に下り、組織で真面目に働いたらいいと思うのである。それができる人はそもそも人に使われることがさほど苦でない人なので社長になる必要などないのだろう。それはそれでまたいい。

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2012.05.12

インターネットを通してのご依頼。

最近インターネットでのお問い合わせが非常に多くなった。

ホームページを立ち上げてちょうど3年ほど経つ。当社のホームページは自分たちで作成したもので、過去の膨大な作品の中から、写真を数枚づつ選び出すのがとても大変でした。

それまでは、現像しアルバムにしてあるものが多少あっただけで、あとは撮ったなりで、整理もあまりしていなかった。いつかはまとめようと思っていたので写真だけはたくさん撮っていたが、ほとんど整理されていなかった。

また、デジカメを買ったのが遅かったので、ネガから現像してあるものがほとんどでスキャナーで取り込んで、という面倒な作業を延々しなければならず、ホームページの作成には大変な時間と労力がかかった。

しかし、建築とは悲しいもので、自分の過去の作品をお客様が実際に見に行って下さるか、といえばなかなか難しい。百件以上はあると思われる作品の中から見て下さるのはせいぜい2,3件でしょう。ほとんどは写真である。それでもこの仕事は実績がものをいう世界だから、写真を見てもらうことはとても大切なんだなと痛感する。

実際まだ整理できていなかったり、きちんと写真が撮れていないものもたくさんある。独立当初の作品などはほとんど整理できていないし、事務所の引っ越しなどでわからなくなってしまったものもありとても残念だ。

事務所を出してから、あまりに忙しく、私は小さなリフォームから大きな古民家まで、作品の数は非常に多く、手が回らない。

なかなか納得はいかないが、それではいつまでたってもホームページができないから、とりあえずめぼしいものを整理して立ち上げたのが今のホームページだ。だから外部に作成を依頼すなどは意味がなかった。作業のほとんどが写真の整理と、選択だったからだ。仕分けの作業は設計した自分にしかできない。なので、ホームページの内容自体は、全く商業的でないそっけないものになっていると思う。

それでも予想以上にたくさんの方にアクセス頂いていて、とても嬉しく思っている。それにホームページからご依頼いただくお客様は、前もってこのブログなども読んで下さっていて、私のへんこつで屈折した(笑)性格や思考を理解して下さった上で、作品を気に入って声をかけて下さる方がほとんどなのでとても有難い。

今更ながらホームページを立ち上げる前には出会えなかったお客様との出会いが増えた。最初にお会いする時は、やはりとてもどきどき、わくわくである。再生の場合、最初に家を見せてもらうのにお伺いすることが多いが、人物も人物だが、建物はどんなものかが一番わくわくする。これがまた、古くて痛んでいるほど、燃えるので面白いものだ。

それにご依頼があっていろんなところにいけるのもとても楽しい。通常自分では行かない場所や道路をナビが案内する。ご依頼の住所を訪ねると、こんなところに家があるのか???(笑)というところへどんどん行かされる場合もあり、とても楽しい。ちょっとした冒険、アドベンチャー気分だ。

そしてその先に新たな出会いがあるわけで、私は自分が喋るのも好きだが、相手の話を聞くのが大好きなので苦にならない。古民家の場合、そこでおにぎりでも食べて一日過ごしたくなる場合もある(笑)。のどかなのである。

営業で、仕事として話を聞いている人はすぐにわかる。たいして興味もないのに営業だから話しているんだな、とすぐにばれる。私はそんなふうに思ったことは一度もない。その人の考え方や自分とは違う価値観、人生の歴史などについて聞くが、本当にそのことに興味があるのである。またその辺の話をしっかりとお聞きしないと、設計などできない。私が提供するものは世界に唯一のオーダーメイドなのだ。

それが築後100年の古民家であろうが、30年の住宅であろうが、ずっとサラリーマンをしてきた方であろうが、農業をされてきた方であろうが、関係ない。こちらが興味をもって聞くと深いところまでお話下さることがあり、とても勉強になる。私のお客様は60才以上の方が多いので特に人生についての興味深いお話が聞けて楽しい。

ホームページによって人生の出会いが増えたことはとてもよかったと思います。

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2012.05.10

久しぶりに東京へ行ってきました。

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久しぶりに東京へ行ってきました。

以前は毎月のように行っていたのですが、ここ2年ほど足が遠のいていました。ご存じの通り、写真はディズニーリゾートです。訪れるのは二度目。まるで映画のワンシーンのようです。さすが、世界に誇る日本の夢の国である。

ディズニーリゾートやユニバーサルスタジオを見て思うのは、日本人がいかに西洋文化に憧れてきたかということである。島国であるが故に異郷の文化を有難がるのもわかるが、それはこれだけ国際化した社会となった今も続いているのだなあと実感する。ヨーロッパやアメリカの街並みを素敵だと思う人が多いということだ。

私は本場アメリカのユニバーサルスタジオにも行ったことがあるが、アメリカにいるのだから、アメリカを再現するもなにもそこはアメリカだ。

確かにメルヘンの国の王子様は西洋のお城から出てこないといけない。ちょんまげを結った殿様が出てきたのでは駄目なのである(笑)。

こういうところに来ても、私が見るのは、この虚構をいかにして造ったか?ということだ。材質は何で、構造や設備はどうなっているか?法規はどのように解釈して成り立っているのか?

かつ私はメルヘンチックでセンチメンタルなものが大好きなので、頭の中は大忙しである。

ディズニーに来てメジャーで寸法を採っているのは私ぐらいであろう(笑)。

久しぶりに東京を訪れ、田舎から東京をみると不景気などどこ吹く風だなと思った。どんどん大きなビルは建ち、いたるところでクレーンが上がっている。地方ではない景色。

建築家は都市に集まる。そして仕事があるところ、自分の腕が発揮できるところならどこでも行く。上海やドバイなどで仕事をしている方も多いことだろう。私も郷里で独立する前、アメリカの設計事務所で働くことを真剣に検討した。

しかし、大阪を離れる時に、岡山へ帰れば大きな仕事はなかなかないということは自覚はしていたが、大きな仕事はチームでやるし、会社の縛りをなくすることはできない。だから小さなものでも全て自分でやりたいという気持ちが強かった。

「思考は現実化する」、ということを私は信じているが、その通りになった。あげくの果て、施工まで全てやるようになり、実質共に全てを自分の意思でコントロールして建物を造るようになった。

とても楽しい。

大きくても小さくても物を造る楽しみに何の差もないことは驚きだった。私は誰から何の文句も言われることなく、自分の思った通りやれている今が一番幸せだ。

だだ、現在も12件ほど並行で設計や現場を進めており、もう少しじっくりと取り組ませてもらいたいとは思うが、独立当初全く仕事がなく大変だった時期をいつも思い出し、施主様に感謝して仕事をしている。

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2012.05.07

連休も終わりました。黄葉亭のこと。

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連休も終わりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は東京へ行って参りましたが、それについてはまた後日報告させて頂くとして、本日は閑谷学校の続きを。

写真は「黄葉亭」という建物で、閑谷学校から歩くこと20分くらいの山の中にあります。閑谷学校があるところで既に十分に静かなのですが、ここは更にのどかで静かな所でした。

小川のせせらぎと鳥の声だけ。それにこの小川に張り出した「濡れ縁」とくれば、これはもう最高のロケーションです。閑谷学校は岡山の池田藩主が作ったものですから、藩主が訪れた時の憩いの場、客人をもてなす接客の場だったのでしょう。

今も昔も、財力と権力の力には感心します。こんな田舎の山の中に最高の意匠と技術を投入して、このようなみやびなものを造ってしまうのですから。ただの山が一瞬にして、優雅な景色になっています。

何百年たってもその当時の最高権力者が、「己のセンス」と「財力」に明かして、手間を入れて造ったものは、現代の私たちが見ても、「う~ん」と唸ってしまいます。

良いものは時を超えて価値を持ち続けます。たとえ古くなってもです。否、古くなるにつれて余計に輝きを増すのではないでしょうか。

しばしの間、時をとめて見惚れました。

小さな建物でも、大きな建物でもそこのところは変わりません。小さいからこそ価値があるものもあります。こんなところにこんなものがあるとは誰も思わないのではないでしょうか。山小屋ならいざ知らず。

私も流行りすたりに影響されない、50年後、百年後にも評価される建築を造りたい。古いものと新しいものを融合し、後世に残る物にしたい。一生懸命良いものを造れば、後世の人もその思い入れを理解し、長く残してくれるのではないか?

私が昔の人がした仕事を読み解き、評価し、良いものは残そうとするように。後世にも私のような人がいて、今の私の仕事への思い入れを理解してくれるのではないか。そんなことを空想する。

素晴らしいデザイン、素晴らし技術でできた建物を造れるよう今後もより精進したいと思いました。久しぶりに閑谷学校を訪れてよかったです。

年月を経ても未だ色あせない建築の力に再度感動した次第です。

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2012.05.03

閑谷学校

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先日の続き。

藤公園藤を見に行きましたが、近くには閑谷学校があり、当然、足をのばしました。閑谷学校はかれこれ5~6回は訪れています。

歴史的建造物は訪れるたびに自分が興味を持つところが違い、新しい発見があるのですが、このたびは石垣に目がいきました。

他にも瓦が備前焼だとか、床が磨き上げてピカピカだとか、いろいろとその時によって注目するところが違うのですが、今回は石垣(最後の写真)。

この曲面を揃えて造るのはちょっとやそっとの手間ではないのではないでしょうか。そうまでしてここを曲面にしたかった理由は何でしょう。

美観とか、子供がけがをしないように・・・とか?はたまた、何か技術的な理由があるのか、調べればわかるのでしょうが、単純にとても優しい感じでいいな~と思いました。

また、閑谷学校の近くに別の校舎のようなものがあるのですが(写真5枚目)、こういう明治時代の西洋建築を真似たような建物はとても好きです。木造で必死に洋風建築を造った当時の大工さんの心意気のようなものが伝わってきます。

なにやら当世の建築家が(私も含め)鉄筋コンクリートでコルビュジェのような建物をやりたいのだが、予算の関係等々で木造になり、それでもシンプルモダンな建物を「いかに木で造るか?」と考えているような、そんな感じの共感を持ってしまいます(笑)。

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2012.05.02

和気神社と藤公園

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藤を見に行った。

まだつぼみで少し残念だった。私はこの藤が大好きで毎年藤の名所に藤を見に行く。この写真は和気清麻呂を祭る和気神社と藤公園である。

和気清麻呂は岡山県の誇る偉人で、歴史の教科書にも出てくる。かの道鏡の天皇になろうという愚かな野望を打ち砕いたヒーローである。忠臣の誉と言われている人だ。

その神託を得たのが、大分県の宇佐神宮というのも興味深い。岡山と大分のご縁である。私は大分大学出身なので、大分にいた頃に何度か宇佐八幡宮を訪れた。こんな田舎の神社が歴史の表舞台に立ち、歴史を動かしたんだなあと感慨深く思ったものである。

藤の紫は淡く儚く、私は桜よりも好きだ。本当に癒される色。満開は見事だが、今回は少し時期が早かったのが残念である。

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2012.04.28

日本の山里、その風景をを守りたいですね

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現在工事中の古民家がある山里です。

今の季節は新芽が芽吹き、本当に新緑が綺麗です。山の陰で日の出がずい分と遅いですが、とても空気が良く、気持ちよいところです。

最近私は分刻みのスケジュールで多忙を極めていますので、現場に来てこういう風景を見るとなごみます。

現在、既に来年末までの仕事が一杯となってしまいました。なおかつそれ以降待って下さるお客様がおられます。

私としては、ご期待に沿えるように一生懸命やるだけです。

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2012.04.19

お年寄りの話し~その2~

昨日の話の続き。

いろいろなお話をさせていただいたが、一番興味深かったのは戦艦大和の話しである。私の認識では、沖縄に応援に行っている途中で無念にも撃沈したということであるが、その当時呉の海軍におられたご主人は、当時の周囲の話をよくご記憶になられていた。

戦艦大和。それはそれは巨大な島のような軍艦。しかし、その当時すでに巨大戦艦は航空母艦にとって代わられ、出向しても、魚雷攻撃や空からの戦闘機によって撃沈されるのはわかっていたとのこと。途中攻撃されるのは明らかで、到底沖縄までたどり着けるとはだれも思っていなかったというのだ。もちろん口には出せないが。

それが呉の港が空襲を受け、一度も出向することなく沈んではあまりにかわいそうだ、また戦費の無駄遣いのそしりもうけようということで、とりあえず早く出せということで、沖縄に向かったとのこと。

これはニュアンスの違いだが私にとっては大きな驚きだった。活躍を期待されていたが、無念にも沖縄にたどり着くことなく散ったと思っていたのだが、散るのはわかっていて出したというのでは趣が全く異なる。

それとこんなことも言われていた。負けるのはもうわかっていたのに見栄を張り、出した。出さなければ3000人も死ぬことはなかったと。呉の港で沈められていれば人は乗っていないんだからと。

これはなんということか、これでは戦艦大和は棺桶と同じではないか。

こういう実際にその場にいて、その時代の空気を感じていた方の証言はとても貴重だ。本や資料ではわからない。18歳の時のこととおっしゃっていたので、外地へ行かないうちに終戦となり、生きていると。それより上の世代はみんな死んだんじゃと。

戦争を体験した方から私はたくさんお話をお聞きしてきた。大学生の時の調査でそういうことになったのだが、これによって私の国家観はできたと思う。彼らの話を聞いて、学校で教えられてきたことが全て嘘っぱちであると知った。

教員は、戦争は悪い、日本は悪い。それしか言わない。戦争をしたくてしたわけではない。日本は追い詰められ、その中で最善を尽くした。その戦争で戦った人たちにもっと名誉を与えるべきだ。戦争へ行ったことさえ隠さないといけないような国はない。一生懸命国の為に戦ったのだ。

日本はその当時の世界の中でなんとか生きていく為に必死でもがき、考え、多くの犠牲を払って頑張ったのだ。その頑張った人たちのことを教えずに、今の日本は新たに作られた。だから今行き詰まっているのだ。

累々と横たわる屍の上に今の我々の生活がある。そのことを忘れてはならない。本当に悔しかったと。考えたら想像できるだろう。一生懸命苦しさに耐え、あらゆるものを犠牲にし、勝つと信じていたが、最後は負けた。その中で立ちあがってきた。それを日本は間違った戦争をした、悪かったの一言で片づける学校教育とは何なんだ?

若い人にそのことを教えていかなければいけない。私は戦争を体験した人の話を直接何千と聞いてきた。次の世代はもう直接は聞けないだろう。だからこそ今度は我々の世代が聞き伝えなければならない。

この日のお話の最後にご主人が、沈みゆく夕陽を見ながら

「馬鹿な戦争をしたもんじゃ」と一言おっしゃった。

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2012.04.18

お年寄りと話すのは本当に楽しい。

先日、今度古民家再生をさせていただく予定のご主人と長話しをした。よわい85才である。私は高齢者とのお話が本当に好きだ。

大学生の時に高齢者の住宅が専門だったから、その当時、農村や都市部で高齢者の調査を多数行った。ヒアリングした数は数千といったところか。大学のゼミと大学院の二年、都合3年間行った。

これは学術調査だったが、まるで私の嗜好に当てはまっていて、多くの学生は苦痛だったようだが、私は毎日が楽しくて仕方なかった。お年寄り宅を訪問し、住宅の調査を行い住まい方についてのアンケート調査をするのだが、私の場合、話は脱線に脱線を重ね、何時間もお話をお伺いし、挙句には友達になってしまい、後日調査とは関係なく、お茶を飲みにお伺いする始末である。

貧乏学生だったのでご飯をごちそうになったり、そのお礼に家のかたづけの手伝いをさせてもらったりと、ずい分と仲良くなったりした。

好きこそものの上手なれというのでしょうか。好きなものだから他の学生よりも飛躍的に調査サンプルが集まって、なんでそんなにたくさん調査できるのか?と聞かれたものだが、秘訣などあるわけもなくいやいややっているのではなく、今日はどんなお年寄りとの出会いがあるかとわくわくで出かけるものだから、それは相手にも伝わるのでしょう。通常はプライベートなことも聞く調査なので調査拒否が続出するものですが、私の場合はほとんど拒否はなかった。

独立起業してからもその特性は大いに有利に働いて、楽しく仕事をさせてもらっている。

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2012.04.17

今年二度目の花見

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今年二度目の花見に行った。

これまた私の事務所からわずか車で5分といったところか。

大阪から田舎に帰ってきて一番素晴らしいのはこの豊かな自然とゆっくりと流れる時間である。そして人間の穏やかさである。都会のような殺伐感はない。おかげさまで人間らしい豊かな生活を送らせてもらっている。

先日行った酒津公園は花見の名所となっており、あまりに人が多かった為、方向を変えて、吉備真備公園に行ってみた。人もさほど多くなく、ここは穴場だ。

遣唐使だった吉備真備にちなんで中国風の庭園となっている。とても雰囲気は出ていて、ちょっとした桃源郷のような感じになっている。ここだけ別世界だ。けっこう気に入っていて、ちょくちょく来る。この日は桜は満開を通り過ぎ、風と共にまさに桜吹雪となってとても美しかった。

寝っ転がってぼーっとしていると青空と桜のピンク色が絶妙で、生きている喜びを感じられる。程よく暖かく、小川もあり、野山を散策し、自然を満喫した。やはり人間はコンクリートの中にいては頭もおかしくなる。自然と緑、木と水、そんな中で人間らしい情緒は養われると感じる。

ちなみにこの吉備真備公園の建物の瓦屋根はうちのスタッフの作品だ。見事に反り上がった棟や尾の葺き方は素晴らしい。これだけの屋根を仕上げられる職人は岡山県内でもそうそういないのではないだろうか。我がスタッフであるから、自画自賛となってしまうが、本当に見事だなと思った。

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2012.04.16

トップライト

P1000795_2 先日5年ほど前に古民家再生させていただいた民家にお邪魔した。トップライトの電動ブラインドに不具合が生じたからだ。

写真は足場をかけてのメンテナンスの様子である。

トップライトは開け方を間違うととんでもなく暑く、厄介なものになる。私は古い民家を再生する仕事を専門にもう、14年も事業を行っているが、どの民家も私が最初伺った時には暗く、寒い。それは例外なくそうであって、昼間から電気をつけなくては生活できない状態である。

それが都会の密集地ならまあ、仕方ないなとは思うが、広大な敷地に建っている住宅で日中、日が入らないというのは辛い。

なぜ古い民家ではこのようなことが起こるのか?

これはハレの日ととケの日という日本古来の考え方に由来すると思う。私たちが言うところの古民家ができた時代(今から70年~300年前)には、ハレの日、今で言う、「外」、「公」、「非日常」に向いた空間・時間と、ケの日、すなわち「内」、「私」、「日常」に向いた空間・時間が存在していた。今でもあるのだろうが、この時代と比べれば非常に弱い。

当時は一番にハレを優先した。すなわちハレの為に南向きの良い部屋を提供した。その為にケの空間、家族の為のプライベートな空間は北側の暗い部分となった。また東向きには農業を中心とした、倉庫や馬小屋、牛舎があるために朝日も入らない。

たまにある来客や、講と呼ばれる集落の集まり、親族や、村の行事の為に一番良い場所は空けておいた。

それが戦後、アメリカの占領軍と共に入ってきた個人主義、家族のみ優先主義によって民家のあり方が変わった。一番良い位置に家族の過ごす居間を持ってきた。それでも当初は応接間(ハレの空間)というものが存在したが、徐々にその考え方もすたれ、今では家族の空間である居間がリビングと称され、ほとんどの来客はこの本来ならケの空間であるリビングに通されるようになった。

そして我々住宅を設計する建築家は、このリビングをいかに見せ場のある空間にするかが課題となった。またこのリビングを中心に家族の生活自体も回転していくようになったのだ。

さて古民家の再生をする場合、その古い平面計画をいかに現代の生活に馴染ませるかが課題となり、新築の住宅を設計するのとはずいぶん注意する点が違う。人によっては一番良い場所にある座敷を改装し、リビングに変えている場合もよく見かけるが、私の考えは違う。

せっかく先祖から伝わった古民家を活かすなら、古民家の素晴らしいところを残したい。だから私の場合は土間を元来の形に戻し、座敷を「保存」する方法をとる。これは例外なくそうする。そこに吹抜けをつくったり元の形を大幅に変更するような馬鹿げたことはしない。あくまでも先人が一番力を入れたところを残す。

そうなると元の暗くてじめじめとしたケの空間をいかに使いやすくするか、光と風をふんだんに取り入れ、動線の問題をいかに解決するか、これが一番の課題となる。

トップライトも一つの手段である。トップライトは吹き抜けて頭上直下の距離をかなりとれるところに空けないと失敗する。そして南や東に空けるのはご法度だ。夏の日差しで生活できないほど暑くなる。あくまで控えめに北側に遠慮がちにとる。そして雨仕舞には細心の注意が必要だ。

今回は製品が壊れたわけで、メーカーに対応してもらったが、なんせトップライトは手の届かないところにある。手の届くところに空けると暑いわけで自然高いところにある。もちろん設計の段階で万が一の場合のメンテについて想定していて足場をどのようにかけるかは想定してあるが、実際となるとやはり危ない場所での作業となってしまう。

なかなか電動、機械ものは壊れないということはないので、厄介だなと思った。トップライトに頼らずに採光をとりたいので近頃ではハイサイドライトをよく活用するが、どちらにせよ高い位置にある窓はメンテナンスが厄介だ。

できるだけスクリーンがなくともあまり暑くならない位置にとらなくてはならない。ただ部屋にいて星がみえるというのはそれをおいても捨てがたい魅力ではある。

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2012.04.12

花見

P1000790 花見に行きました。

私の会社から車で10分といったところか。満開の桜。とても綺麗でした。

大阪でサラリーマンをしていた時も会社から歩いて行ける公園に桜並木があり、昼休みなどのわずかな時間を利用して花見に行った。

サラリーマンって本当に自由がない。けっこう偉くなっても。今となってはこの自分がよくサラリーマン勤まっていたなあと感心する(笑)。

桜を見ながらそんなことを思い出しながらふと気付いた。私は大学院に行ったのでちゃんと働きだしたのは25歳の時だ。ということはまだ20年そこらしか働いていない。

今のサラリーマンの人は65才まで働く。としたらまだあと20年以上。ということは労働者人生、まだまだ折り返し地点なんだと。

う~ん。この年で自分なりには「成し遂げた感」を持ってしまっている自分を反省した。まだまだ青二才ではないか。

それと同時に、学生が長く大学と大学院で6年建築を学び、実務が何もないところから、7年間サラリーマンをしながら技術を学び、たった一人で独立・起業して13年、合わせて20年でここまで来たのだから、これから倍の期間働けるとしたら、今後はもっとやれるじゃないか!と思った。

これからどんな風に事業を展開していくか、自分でもとても楽しみだ。

気力・体力・集中力そして一番大切な「気合」。衰えは、いまだいっこうに感じない。空手を長くやっているおかげだろうか。空手道歴は仕事歴より長くもう27年目となる。

桜を見ながらそんなことを考えた。

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2012.04.06

イルマーレ牛窓

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先日私の大好きなホテル、イルマーレ牛窓に行ってきた。中のレストランで食事をしたが、本当にここは気持ちの良いレストランだ。私は結構難しいほうなので、気に入る店があまりないが、ここはいい。

季節も良くなってきたので少し窓が開けられていて気持ち良い風が入ってくる。食事もとてもリーゾナブルな値付けである。

第一、小高い山の上にあり、わかりにくい?のもあってか、お客が少ないのがいい。たとえどんな人気店で食事がおいしくても、私は混んだ店は大嫌いだ。この日もほぼ貸切状態(笑)。

改めて食事とは、その料理の内容は勿論だが、シチュエーションや雰囲気であるなあと。接客も派手派手しく大仰でなく、とても快適だ。メニューの説明もほとんどない。それでいいじゃないですか!私の場合、一流の仰々しい接客がいいとは限らないからこれまた難しい。接客とはマニュアルではなく、心であることがよくわかる。

この日も大満足でした。

その後ヨットハーバーを散策し、優雅なヨットを見学。私は釣りなどのアウトドアが苦手なので、クルーザーなどには全く興味がないが、いろいろな道楽があるもんだなあと感心した。ま、なんせすごいお値段です。ヨットも、維持費も。

ヨットハーバーには写真のような船に見せかけたけったいな建物を発見。さっそく中まで見学。気持ちはわかるが船に見せたいという安易なデザインで中も感心できるものではなかった。

牛窓は綺麗だが、しょせん岡山で、雰囲気の良いところを出るとただの田舎の田んぼと山になりげんなりする風景が出現する場面もある。大量の墓とか(汗)。

地中海の雰囲気を目指しているのだろうが、所詮は日本。生えてえいる木が違います。当分ご無沙汰だが、また本当の地中海を訪れたいものだ。

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2012.04.04

春の嵐

昨日は春の嵐です。すごかったですね。

そのせいで、今日は問いあわせが多数相次ぎました。

当社が施工したところはわずかですが・・・。

今日はスタッフが西へ東へと点検、メンテナンスに追われました。こんな風が吹くのはここ10年来ないですね。本当に車ごと飛ばされそうな感じでした。

春になると仕事が込んできます。人間の心理は皆同じでしょうか?あったかくなると動き出すのでしょう。

設計・建築の方はおかげ様で、来年の夏まで「フル稼働しても一杯」の状態になってしまいました。瓦の方はその都度対応できますが。

私のお客様は、良い信頼関係が築け、良いお仕事ができるお客様ばかりです。

いろいろなお客様がおられますが、私と信頼関係の構築できるお客様に限定してお仕事をうけさせていただいております。

そのかわり、自分が納得できた、その限定されたお客様に対しては精魂込めてその信頼を裏切らないように尽くします。自分の技術と学んできたこと、会社が今まで培ってきた人材、ノウハウの全てを投入し、良い仕事をします。

この人の為ならと思えないお客様の仕事はお断りしています。それはお互いにとって不幸だからです。最近はお断りすることも多くなりました。

自分が信頼できる、相手も信頼していただける、そんな人間関係の中で仕事ができるなんて、本当にありがたいことです。

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2012.03.31

我が愛する倉敷市

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先日今設計している新築物件について、倉敷市で行政協議を行った。設計の仕事というのは行政との打ち合わせなくして進まない。役人とどうやって打ち合わせしていくのか、というのも設計士の重要なノウハウの一つだ。

法律というやつは、なかなかわかりづらく、人によって解釈が違ってくる。建築基準法もご多分にもれず、いろいろな解釈が出てくる。ケースバイケースで判断しなければならないことも多い。役人は指導という形で一方的に話を進めてくる場合が多いが、だいたいそれは安全側だ。あとあと問題にならないか?だけを考えて仕事をしている彼らにとっては当たり前かもしれないが、こっちはそうはいかない。施主の利益を守るために解釈によっては、法律に適合していることを証明し、説得しなければならない。これがけっこう骨が折れる。しかしその努力なくして画期的なアイデアは形にはならない。

だいたい建築指導課たる名前がおかしいだろ?指導って・・・。いい大人が・・・。だいたい官は、「民間は駄目駄目で、頭のいい僕たちが見張って指導してやらなくては何をしでかすかわからない」という基本的見解、理屈を持っている。

しかし、そんな民間ばかりではないことも理解したらどうか。私は日建設計という世界最大手の設計事務所で修行したが、この会社のレベルは相当高く、役所が判断を下すというより、無知な役人に最新の考え方を教えてやるっていう場面が何度もあった。

日建設計はなかなか宣伝下手で、あれだけすごい会社なのに知名度は低い。在職中からそれが残念だった。設計した建物を挙げれば知らない人はいないだろう。今話題の「東京スカイツリー」をはじめ、「東京タワー」、「東京ドーム」など、名だたる有名巨大建築物を設計している。

私にとって7年という、今となっては短い期間だが、この素晴らしい会社の設計部で正社員として身分を保障され、修行させてもらえたことに今でも感謝しているし、誇りに思っている。

さてさて、また話がそれてしまったが、私は倉敷で生まれ、高校卒業まで倉敷で育った。倉敷という街が大好きだ。岡山県人であるが、岡山の文化と倉敷の文化は違う。言葉ももちろん違う。江戸時代倉敷は天領であり、岡山の池田藩の支配が及んでいない、独自の文化を持っている。倉敷市庁舎は贅沢な庁舎ということで攻撃されることもあるが、私は個人的には好きだ。

写真1枚目は駐車場。駐車場でも凝っているでしょう。そして二枚目はそのデザインを台無しにする「食堂」というでかい看板。誰が貼ったのか?センスを疑う。設計者の浦辺さんがご覧になったら泣くでしょう。

三枚目がちょうど昼を過ぎたのでこの食堂で食事を。この昼定食なんと360円でした。内容も簡単なものだが、それにしても安いと思いませんか?しっかりいただいて帰りました。

役所へ行くと役人がいかに仕事をしてないか、全くサービス業という自覚がないのがよくわかり面白い。大阪にいた頃は今話題の大阪市役所にしょっちゅう行っていたが、当時は腹立たしく見ていたものだ。「ほんとこいつら仕事しねえな」と。が、今は地元だし、あきれて楽しく見ています。市民もいきなり大声で怒りだす人などもいて、役所はなかなかエキサイティングで面白いのである。

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2012.03.29

宮島 その2

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宮島の続き。

宮島の山側に「千畳敷」という建物がある。かの豊臣秀吉が建てたということだ。秀吉が死んだときに建設も中止され、完成途中のまま現在に至るとのこと。瓦の唐草部分には金箔が貼られ、この大きな造りが秀吉らしいと書かれてあった。

未完成なので、天井が張られていないのか?小屋組みが全て見えた(写真一枚目)。こんな大きな木があるのか、というくらい大きな木で組まれている。やたらと貫(ぬき)でぶれ止めがしてあった。古民家を吹き抜けにするのに意匠上邪魔になるので省きがちだが、大きな空間になるとこれだけも必要になるのかと思った。

それに廊下の列柱の間隔が狭く(写真三枚目)、その分、桁行の梁の梁成が異様に小さい。他の柱等の大きさに比べてそれは異様だ。これは思うに当時考えた人が柱の間隔を狭め、廻り縁の列柱の配列の美しさを強調したかったのではないか?と思った。それ以外の理由は思いつかなかった。つまりデザインである。四方が廻り縁になっており、それを列柱が囲む。400年以上の時が経過し、柱や梁も黒くなり、腐食している部分もあるが、これができた当時、白木だった時を想像すると、それはそれは見事なものであったろうと思われる。縁の床材もあり得ないような厚み、面積の一枚板だ。

大きな空間、建造物のパワーは絶大で、有無を言わせぬものがある。人間は人間が造った大きな物に感動する。高いもの、巨大なものに対して感動する。場合によっては畏敬の念を持つのは人間の本能だ。だからこそ巨大なものを人間は造ってきた。

山の上にあり、全て人力で資材を運んだかと思うと感心する。クレーンもなくこれだけの大きな材を組むのは大変なことだ。しばし木造の巨大空間に身を置き、遠い戦国の世に思いをはせた。

いろいろなことに思いをはせ、想像し、考えていると、あっという間に時間が過ぎる。とても良い刺激となり、また、創作意欲が湧いてきた。

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2012.03.27

宮島へ行きました。

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急きょ思い立ち宮島へ行ってきました。高速をぶっ飛ばして、あっと言う間に到着。昨年は辛抱に大河ドラマ「江」を見ていたので、琵琶湖近辺に何度も旅行したが、今年の「平清盛」は全く見ていない。よって私が宮島へ行ったのは、古いものが見たくなって行っただけなのだが、現地は大河ドラマ効果なのかすごい賑わいだった。島へ渡るのだが、そのフェリーも座れないくらいだった。駐車場はかなり離れたところだったがなんとか停められた。

宮島は大学院の学生だった時に建築学会が広島であったので、その時訪れて以来だ。かなり痛みが激しく、痛々しいところがたくさんあった。とても寒く海風の冷たさは半端ではなかった。しかし、この棟や軒先の連なる景色は本当に美しい。軒の伸び方、連なり方が素晴らしく、偶然にこのような美しいプロポーションになるはずもなく、当時の人々の、抜群の美意識の中で造られたのであろう。

最高権力者が財を尽くして造った建物であろうから、手間のかけ方が違う。古い民家をたくさん扱う仕事をしてきたが、たまにはこういう国家権力が最大の力を投じて造ったものを見ると、そのレベルの違いに驚嘆する。

不思議なものだ。同じ人間が造ったものでも、力があるものが勢力を費やして造るとこんなものができるのかと。その発想や独創性も素晴らしいと改めて思った。

宮島を訪れるのは、子供の頃、学生の頃も含めて、今回でたぶん5回目くらいだと思うが、その時々によって自分の見ているものが違う。木造建築をもう長くやって、本格的に実務で触り、特に仕事で何百年も前の建物を触るようになってから見ると、全然見えてくるものや関心が行くところが違っている。面白いものだ。

やはり私はこういう古いものが大好きなんだろうと思う。子供の時、歴史学者になりたかったわけだから、こういうものに興味があるのは自然だし、古いものを触るのは理由もなく楽しい。

今日も現場で解体と片づけをしていたら、古い箱が出てきた。文化元年と書いてあり、調べたら1804年だった。200年以上前の人が書いた箱。そういうものに言葉では説明できないが、果てしないロマンと興味、面白さを感じる。こういうものは、捨てるのがブームな今であっても、捨てることができないものだろう。

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2012.03.22

厳しい会社

最近は仕事は楽しくという風潮が主流だ。最近でもないかもしれない。けっこう私がサラリーマンをしていた大昔から、そんなことを言っている人もいた。学生の頃からそんなことを言ってる輩もいた。

でも私はそうは思わない。仕事は厳しくあるべきだ。妥協してはならない。ま、いいかではすまないのだ。喜びは出来上がった一瞬であり、そこに至るのは苦難の連続だ。それでいい。物を造るというのは創造の苦しみ、産む苦しみだ。考えて、考えて、考えての連続だ。

どの仕事も必ず途中、いまだに、現場で沈黙してしまうことがある。悩む。でも必ず着地させなくてはならない。そこを軽くあしらってはいけない。そこが正念場であり、ねじ伏せていかなければ「いいもの」などできるわけがない。

これは人生観の問題かもしれないが、人生は厳しい。それは当たり前のことだと私は思っている。戦前、戦中の日本を思うと、今の快楽と楽しさを追求する風潮は間違っている。

私のお客様は60歳以上の方が多いのでとても話が合う。人生にもまれ、苦労をし、あきらめずに努力されてきた方の話は重く、本当に説得力がある。話が軽くない。そして共感できる。

人間は軽くてはいけない。へらへらと笑う必要もない。きちんと自分を律し、厳しい仕事をしていれば必ずそれを評価してくれる人ができる。

うちの社員にもそれは伝わっていて、みな不要な無駄口は叩かない。でもちょっとうちの会社は違うよっていうプライドを持っている。

建築はたくさんの職種が関わる。一つでも駄目な職種があると完璧なものはできない。世の中に完璧なんてない、などという一般論で逃げてはいけない。ある基準以上にしないといけないというレベルがある。

それをやろうと思えば、なかなか大変だ。仕事は楽しく、なんて世間の風潮など信じてはいけませんよ。いい仕事する人間は厳しいですよ。職人も一緒。いい仕事をする職人で苦労してない人など見たことがない。一流の仕事師は皆厳しい。私はそういう人たちと仕事をしている。仕事よりプライベートを優先してるレベルでいい仕事などできるか。仕事は厳しい、それが当たり前だ。

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2012.03.17

ついに吹抜け大空間が出現!

P1000712 現在、古民家再生中の現場、既存の天井を下から撤去し、とうとう念願の大空間が下から見られるようになりました。

300年近く経過した古い梁の上に新しい梁を組んで、結果として、壮大な建築空間が出現しました。

現場はとんでもない埃の状態ですが、立ち尽くし、見あきることがありませんでした。設計中何度も何度も想定し、考えた空間です。頭ではわかっているのですが、実物を見るとその壮大さに感動!です。

この感動をなかなか写真ではお伝えできないのが残念です。長い歴史の重みの上に新たな空間を創造していく喜びは、やはり新築では味わえない、古民家再生の醍醐味と言えるでしょう。

さて、これからどのような空間が出来上がっていくのか。私自身も楽しみです。このたびも、またまた私の代表作となるのは確定したようです。夏完成を目指して頑張ります!乞うご期待です。

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