2020.07.18

7月豪雨。子供に泥出しをさせてはいけない。

真備であれだけ言われたのに、全くその情報が伝わっていないかもしれないので、

ささやかながら、ブログで発信させていただきます。

 

まず、水害の泥水は、ただの泥水ではないです。

ありとあらゆる汚いものを飲み込んだ、まさに汚水そのものです。

これには気を付けないといけないです。

 

ついつい作業に夢中になって、手袋もマスクもおろそかになります。

これからの季節、暑くて、泥が乾いてきます。汚泥は粉塵となります。

これが目やのどに入るとたまりません。

変な菌がいると思います。

結膜炎や気管支炎になる人が続発しました。

私のような屈強な男でも、作業を連日やると、目や喉が痛くて仕方なくなりました。

目を洗わないと痛くて仕方ない。朝を起きると目やにと充血。

子供は皮膚に泥がついて、かぶれたり、湿疹が出たりする子がいっぱいいました。

水害の泥には、どんなに汚く危険な菌がいるかわからないのです。

 

家族の危機に、子供も手伝う、という美談はわかりますが、親なら子供には作業させたくないです。

ボランティアも県内だけだと、本当に足りないと思います。

それでも、体調が悪い人や子供にはさせない方がいい。

子供を守ってあげて欲しいです。

 

私が被災した時も、ボランティアで、高校生の若い女性が何人も来て下さいましたが、

申し訳なさすぎて、泥の運び出しなどはして頂けませんでした。

これからという若い人たちに何かあると、本当に忍びないと思ったことを思い出します。

 

泥出しの後は消毒作業になりますが、良かったら、詳しい内容は、ブログの中の、西日本豪雨災害のカテゴリーを見て下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7月豪雨に思う、地獄の惨劇の中、なぜ国家は泥の運び出しを手伝わないのか?

今年は九州がやられた。

私は大分大学、大学院と6年九州にいたので、九州には知り合いも多く、

我がのことのようにニュースをチェックしてきた。

まさに二年前の真備と全く同じ光景がテレビから流れる。

他人事とは思えない状態。

私もそうだったが、人間のさがで、破壊されたものを即座に元に戻そうとする。

殴られて倒れて寝とけばいいのに本能的にすぐに立ち上がろうとする、それと似ている。

必死で家を片付けようとしている。

まさに、私もそうであった。

 

私が、西日本豪雨災害からいかにして復旧したかは、建築家の視点でブログを書いているのでそちらも見て欲しい。

今、被災地からのアクセスが増えている。多少なりとも参考になれば幸いです。

 

映像で見て、結局二年前となんら変わっていない。

初期に、一番しんどいのは建物に入った泥水を出す作業。

泥まみれになった家具、家電を廃棄する作業。建物を消毒する作業だった。

これは、全く家族、親戚、知人でやるしかない状況は何も変わってない。

強制労働だ。どんなに暑くても、疲れていてもやるしかない。

そして民間ボランティアが助けてくれるだけ。しかもこの度はコロナのバカ騒ぎで県内の人しか手伝えないと。

人が足りるわけがない。

 

なぜ、役人や自衛隊、警察や消防、そういう国家の人間が手伝わないのか?

個人の家を手伝ってはいけない、そういう法律でもあるのかと当時は思っていた。

なぜ政治家や役人は何もしないのか。

 

真備では、一切、県や国家は泥だしをしなかった。捨てたごみを自衛隊が片付けただけだ。

国家は国民の命、財産、生活を守る義務があり、その代わりに我々は莫大な税金を納めている。

自己責任論を持ち出す輩には相当違和感を感じる。

水害が起きる場所に住んでいる奴が悪いという論調は許せない。

今や日本列島は明日は我が身ということは考えないのか。

空に向かって吐いた唾はやがて自分の顔面に落ちてくる。

 

私は被災当時、これまで生きてきて、莫大な税金を納めてきた意味はなかったと思った。

国家はいざというとき何もしない。自力で復旧するしかなかった。

そしてそれは昨年末、やり遂げられた。

 

私は今の被災地を見て本当に気の毒に思うし、国家、行政の無策を思う。

避難所では相変わらず冷えた弁当ばかり食わせ、硬い床に雑魚寝だ。

真備の状況から何も変わっていない。二年前と全く同じ光景が広がる。

 

日本は災害に見舞われたら最後、乞食のような生活を強いられる国家だ。

なにが先進国だ。

マスコミは相変わらず、自分たちの東京に被害をもたらすコロナばかりを延々やっている。

東京の人間は、地方は日本と思っていないのか。東京だけが日本ではない。

 

馬鹿高い税金を回収し、利権のあるものが、甘い汁を吸って中抜きをし、災害が起きても誰も被災者を助けない。

必要ない建物に莫大な予算を付け、地方の国家の川の治水工事をしていない。

 

九州の被災地の映像を見て涙が自然に出てくる。

必死で泥を掻き出している姿。自分の二年前の姿そのものである。

経験者からどうしても言いたいことは、「無理をしないでください」と。

泥出しや片づけは急いでやらなくてもいいです。体調を保つ方が大切です。

どうせ、急いで無理して泥を掻き出し、家電を捨てても、その大切な自宅へ帰れるのは、

最低でも遠く半年後、下手をしたら二年以上帰れないし、元には戻れないのですから。

 

二年経っても、まだまだ多くの真備の被災者は自宅を再建できずに戻れていません。

長い闘いになります。私も大きく体調を崩しました。自宅へ帰れるまで1年半かかりました。

 

これからありとあらゆる手続きをしていかなくてはなりません。

会社をやっている人は、すぐにわかりますが、また国家は、グループ補助金などという名目で、

被災した者に対するいやがらせとしか思えないような莫大な作業量を要求してきます。

 

写真やビデオや日記、思い出の品もほとんど残りません。

被災してしばらくは気が張っていて、すぐにでも戻れそうな気がする時があります。

でもその疲れがボディブロー的に効いてきて、精神や体に出る人も多い。

真備町の近くの病院では、心臓を悪くしたり、うつを発症する人が多発しました。

 

長丁場になります。だから焦って一気にというのは無理です。

被災地の映像を見て、私の頬に自然に涙がつたうのは、この方々が今後歩まれるいばらの道、

地獄道が見えるからだと思います。

負けないで乗り切って行って欲しいです。

 

泥出し、家具出し、県内のボランティアだけで足りるわけない。

自衛隊、警察、消防、役人は、国家の奉仕者として、日頃我々国民から莫大な税金を巻き上げて、

その血税から、民間以上の高い高い高給をもらっているのだから、ぜひ泥出しを手伝ってあげて欲しいと思います。

その一番しんどいところを、家族や善意のボランティア、民間だけでやらすのなら、

国家や公務員は何の為に存在するのか?

それをしないなら、国家が国民から税金を巻き上げる権利など、一切ない。

 

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2020.06.09

古民家再生〜隅木の交換〜築150年

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現在、築150年以上と思われる古民家を修復している。

屋根を支える大切な部材、隅木。

もう何度この交換を手掛けただろう。

一番難儀をするところであり、技術力が問われる場面だ。

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古い隅木はもうボロボロだった。

150年の風雪に耐えて、屋根を支えてきた。

下から見るとまだまだ綺麗で立派。

だか、私の長年の経験から、交換すべし!と判断は早かった。

案の定、材はほとんど空洞化していた。

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元と同じように加工する。

少しでも形が異なると元の処へ収まらない。

大工も神経を使うところだ。

いつも不思議に思う。

150年も前、江戸時代の職人がした仕事が目の前にある。

そして、150年前の職人が刻んだ様に、同じように材を刻む。

150年前の職人がやった事を、今の職人が考えて、あぁ、だからここを削ってるのか、、、と納得して、また同じように仕事をする。

それがどうした?と言われれば答えようがないが、私はそういう事が、ものすごく好きなんだと思う。

そうとしか言いようがない。

ロマンを感じるのだ。感動する。

そういう仕事はそうそうあるものではない。

古民家をやっていると、つくづく自分はいい仕事についたと、毎度思う。

そういう仕事を多くさせてもらえている人生に感謝している。

「建築」

は素晴らしい。

この建築も、見事に甦って欲しい。


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2020.05.16

イオン再開に思う

緊急事態も解除され、一気に日常が戻ってきた気がする

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岡山でも百貨店がやり始め、身近なイオンも今日から再開するとの事で、早速行ってみた

私は無類の映画好きで、家ではもちろんのこと、コロナ前はどんなに忙しくとも、月に4、5回は映画館で映画を観ていた

もっぱらイオンの映画館で

もうどれだけ通っただろう 映画には助けられてきた

建築の発想に行き詰まった時にも、映画を観ながら、打開策を思いつく事も多々あった

デザインのヒントをもらう事もある

映画館には、別世界が広がっている

映画は文化なのだ

倉敷のイオンは、私の住まいから、車ならわずか10分もかからない

メンバーなので、わざわざ映画館から再開のお知らせがメールで届いた

本数が減ってはいるが再開していた

また、もう少し落ち着いて、時間が取れる時、いい映画を観たい

イオンを歩きながらふとこの感情は最近味わったような? 

西日本豪雨で被災して、真備町内のスーパーが再開した時、店内を歩いた時の感慨

日頃当たり前に出来ていることは、当たり前ではない それは、不合理に日常が奪われた時に初めて気付く

その前にはなかなか気付かない

当たり前の事が当たり前にできることの奇跡

西日本豪雨から復旧し、日常が戻ってきて、忘れかけていた

当たり前の日常が、当たり前に今日もあることにこそ、感謝しなければいけないことに改めて気付かされた

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新しくできたお店に入ってみた

冷たい緑茶が心地よい

気まぐれにふとカフェに入り、お茶をする

こんなごく些細な事も、出来なくなれば、それが幸せだったことに気付く


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2020.05.07

自邸のオープンデッキで一時の寛ぎ

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ステイホームの中、自邸のデッキでひととき、くつろいだ

自邸。

自分で設計した家に住む、というのは、建築家としては1つの最初の夢である

去年の今頃は、水害で被災し、1年たってもまだ自邸は復旧ならず、連日の作業で、くつろぐどころではなく、まさに毎日が死ぬ思いだった

夏には作業中、熱中症になりかけた

それを思えば、家にいる、いいじゃないですか!これほど安楽な事はない

同じ季節でも置かれている状況でこんなにも世の中が違って見えるものか

コロナ自粛でしんどいとかなんとか、、、

あの災害復旧のヘドロの中を駆けずり回ったことを思えば、自宅にいる、なんて屁でもない

完全復旧した自邸で、この最高に気持ちいい、五月の風に吹かれながら、昨年の今と、天国と地獄をかみしめた

コロナで家にいる

結構じゃないか!

家があるだけましだ

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2020.05.04

コロナのせいで、お気に入りのホテルが倒産してしまった

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私は、独立・起業する前は、「日建設計」という世界最大の設計事務所に勤めていた

大阪本社設計部(当時)に7年務めていたので、大阪は大分に次ぐ第3の故郷である

その関係で関西の地理には詳しく、友人、知人も多いので、岡山に帰ってからも、たびたび大阪に行くことがある

一時期、琵琶湖を大変気に入り、月のほとんどを琵琶湖に滞在していた事もある

ほとんどが「琵琶湖ホテル」を定宿としたが、時にこの「ロイヤルオークホテル」を利用する事も多かった

スタッフの対応も良く、値段も手頃なのに、建築は私好みのゴージャスそのもの

いかにして、このフェイクな造形を作っているか、叩いたり、押したりして笑、研究したものだ

もちろん、現代に西洋の古城的なデザインをするのに、レンガを積んで作る馬鹿もいないだろうから、(小規模ならありえるが、こんな大きなものは構造的にも難しい)当然、模造、フェイクとなるが、よく出来ているし、お金もかかっている

決して陳腐ではない


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レストランで出てくる、食器も本格的であったし、ナイフとフォークは本物の銀製で、いつも感心していた

もちろん、料理も満足いくものを提供していた

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それなのに、、、

コロナの影響で倒産

これだけの施設は巨大過ぎて維持費も大変だったであろうことが想像できる

災害復旧も終わったし、このコロナ騒ぎが収束したら、また行ってみようと思っていただけに

スタッフの方は、皆さん、よく気が付き、教育された、とても愛想の良い、気さくで親切な方が多かったが、、

全員解雇、との事

残念だ



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2020.05.03

阿智神社に登る 倉敷を見渡す

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久しぶりに阿智神社に登った

子供の頃はこの石段で、ジャンケンをして、競って登った懐かしい場所だ

倉敷中心部に住まう幸せに浸れる場所でもある

コロナ騒ぎのせいで、行くところがなく、散歩していると、同じような人たちに多く出会う

少し汗ばんで、5月の風が心地いい

そしてこの景色だ

倉敷の街は美しい こんな街は他にないと思っている 江戸時代の建物、明治、大正、昭和、西洋モダン、ポストモダン、様々な歴史的な建物が混在しているにもかかわらず、それが絶妙に調和している

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今日も連休中日にも関わらず、観光客は全くいないような状態 

会うのは私のように運動不足解消か、する事がないのか、ステイホームに飽きたのか、そういう人だけだ

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美しい倉敷川の景色

一年で今の時期が一番散策にいいし、柳の緑も美しい時期なのに、、、

ただ私としては、ありがたい

こんな、ある意味で、自然な景色に、本当に、江戸時代の人間になったつもりで歩く

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私の祖先は武士であったが、江戸後期には、木材問屋となり、高梁の奥から材木を切り出し、この倉敷川を使って出荷していたときく

ちょうどこの美観地区の辺りが最終の荷揚げ場所となり、多くの蔵が建ったわけだ

ずいぶん成功し、豪商となり、貴族院議員まで務めた者もいた

しかし、その後先祖は大没落して、相当な辛酸を舐めたようだ

私がこの辺りに愛着を感じるのは、幼少の頃生まれ育ったからだけではなく、そのような祖先から引き継がれたDNAが心地よく感じるからなのかもしれない

最近は、真備の本社は幹部に任せて、私はほとんど倉敷の拠点にいて、倉敷事務所で仕事をしている

縁もゆかりも愛着もない真備の地にいるのとは精神衛生上も全く違い、倉敷にいると、仕事もはかどり、新しい発想も湧くのだ

仕事は、自分の心地よい場所でするに限る

 

 

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2020.04.30

閑散とした倉敷美観地区と倉敷駅

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連休初日の倉敷美観地区。

自粛生活の中でも、倉敷の街を散歩する。

今まで生きてきて、こんな美観地区を見たのは初めてだ。

いつもは、観光客でごった返している街並みだが、今日は全く姿が違う。

しっとりとして、なんと美しいのだろう。


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倉敷駅の姿も全く違う。

いつもペデストリアンデッキから、多くの人が見る、カラクリ時計も、今日は全く人がいない。アリオもアウトレットも全部閉まっている。

私は、倉敷駅前に住んでいるのだが、今はそのメリットはない。ここは徒歩で倉敷駅は勿論のこと、様々なお店に行けるのが、最大の魅力だが、ほとんどあいているお店はない。

こんな閑散とした倉敷駅は今後も見ることはないだろう。

否、そうあって欲しい。


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2020.02.06

郷里「倉敷」を愛する

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私の郷里は倉敷だ

倉敷で生まれ、倉敷で育った

私にとって真備は故郷ではない

親に連れられ、仕方なく来た場所であり、縁もゆかりもない

災害にあったので、放っておくわけにはいかず、復旧の責任を果たし、昨年末でやり終えた

役目と責任を果たした今、やっとまた、大好きな倉敷で暮らして、倉敷事務所で仕事をしている

私の倉敷の住居から歩いて2分のこの景色が大好きだ

チボリ公園が残した遺産

災害復旧をしているさなか、仕事を終えて、21時ちょうどに始まるカラクリ時計に癒されてきた

私はこの倉敷を愛して、倉敷で仕事をし、倉敷を終の住処とし、腰を落ち着けて仕事に取り組んでいきたい

子供の頃、庭であったこの場所、この美しい街並みと一緒に





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2020.01.23

リニューアルオープン以来、多くのお客様にご来社頂いております

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私の敬愛するコルビュジェのデザインしたLCの家具にお座り頂いて、100インチのプロジェクターにて、私の今までの建築作品をご覧頂いております。

オーディオにもこだわり、極上のサウンドと、美味しい珈琲と共に・・・・。



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打ち合わせスペース。

お打ち合わせは、ヤコブセンの真っ赤な椅子で、お寛ぎ頂きながら・・・・。

ヤコブセン。良い物は、作られ続けます。現代でも通用するデザインと、極上の座り心地です。

ここからまた、新たな、良い設計と良いアイディアが生まれる予感・・・・。

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2020.01.06

本日より仕事始め

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本日より仕事始めです。

倉敷と総社、それぞれ一軒づつ、工事着工させて頂きました。

 

さて、写真は、金毘羅歌舞伎大芝居(金丸座)です。

休み中、見学に行ってきました。

江戸時代にできた芝居小屋がそのまま残っています。

天井裏を見ると鉄骨でかなりの構造補強をしていました。

この日は、担当の方が非常に詳しく解説をしてくれて、大変勉強になりました。

 

古い建物は、本当に好きです。

特にここは独特の雰囲気があり、

まるで江戸時代にタイムスリップしたような気持になりました。

 

100年以上も前に、この大空間を柱一本も途中に入れないで、実現している

その設計力と技術力に感心しきりでした。

お正月からいいものを見せて頂けました。

 

古くて良いものは残していかなければならないと心を新たにしました。

今年もよろしくお願いします。

 

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2020.01.03

新年明けましておめでとうございます!

旧年中は大変お世話になりました

おかげさまで、昨年で災害復旧も終わり、今年のお正月は、ずいぶん、ゆっくりのんびりと過ごさせて頂いております

鋭気を養い、次なる事業展開と仕事に備えようと思います

本年もよろしくお願い申し上げます

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(本社夜景)


※カラーLED照明

自邸で上手くいったので、本社再興で使ってみました

最初は、色が付いている明かりは、目がおかしくなるんじゃないの?などと心配しましたが、案外にいいもので、普通の明かりと混ぜて使うとより自然な形で馴染みます

今後使う所があるんじゃないかと

照明計画は建築において非常に重要で、私も計画に多くの時間をさきますが、今後、間接照明、建築化照明と絡めて、住宅でも使える手法の一つになっていくのではないかと思います

今回の復旧で、LEDについて、かなり研究し、実践しましたから、今後の設計に活かしていこうと思います


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2019.12.28

12月29日(日)付け「山陽新聞」朝刊に私の取材記事が掲載されます。

先日、山陽新聞の記者さんが、弊社に来て下さり、取材をして下さいました。

明日、12月29日(日曜日)の朝刊に記事が掲載されるということなので、

よかったらぜひご覧ください。

 

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本日にて今年の業務終了、全体会議と食事会

本日は大掃除。

社員全員で、全体会議の後、食事会で、一年の締めくくりです。

来年は6日(月曜日)から仕事です。

皆様も良いお年を!

 

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2019.12.23

本日リニューアルオープン!沢山のお花を頂きました

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本日無事にリニューアルオープンしました

沢山の方に、沢山のお花を頂きました

お祝いの電話やお言葉も沢山頂きました

本当に沢山の方に支えられて、支持して頂いて、今の私や会社があるんだなと、本当に実感しました

今日で災害復旧は終わり、「けじめ」です

復旧をはじめた時は、果たして終わりがあるのか、と途方に暮れたこともしばしばでした

なんとか全てを元通りに出来たのは、本当に皆様のおかげです

今後は、本業に専念し、更にご支援に応えられるだけの仕事をしていかねば、と心に誓いました

本当にありがとうございました


※本社はただ今、蘭の展示場のようになっています

  「圧巻」です!

ありがとうございます



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2019.12.22

12月23日(月曜日)10時〜本社リニューアルオープンします!

昨年の西日本豪雨災害で、弊社本社ビルは、約3メートル浸水しました

この度、その本社ビルを、リニューアルし、一階をショールームとしてオープン致します!

私の作品を大型プロジェクターでご覧頂けるようにしております

当日は、私がご案内致します

お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄り下さいませ

よろしくお願い致します

株式会社 小野コーポレーション 

代表取締役社長 小野明

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2019.12.21

本社ビルのリニューアルが完了しました

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どうしてもお客様のお仕事を優先する為に、ずいぶんと時間がかかってしまいました

ただ、そのおかげで、充分な乾燥時間も取れましたし、じっくりと再生に取り組めました

これにて、昨年の西日本豪雨災害によって、被害を受けた5つの建物のうち、4つを完全再生、一つを解体撤去し、跡地を整備、完全に復旧を終えました

本当に長かったですが、応援してくださった皆様のおかげです

ありがとうございました




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2019.12.06

被災地からのアクセス

このブログは、詳細な分析ができるようになっていて、日本全国のどの地域から、どのくらいのアクセスがあったか、わかるようになっている。

私が真備の被災者として、今年の台風15号、19号で被災された方に、少しでもお役に立てればと、災害復旧で注意することを思いつくままに書いたが、その結果、今までアクセスのなかった、東北や関東方面から、たくさんアクセスされるようになった。やはり私が被災した後のように、何か情報がないかと検索される方が多いのだなと思う。そして、私のブログが多少でも、被災された方に読まれて、少しでも役に立てたとしたら、幸いである。

災害は物理的なものを失うだけでなく、その人の人生の思い出や、人間関係、生活を根こそぎ奪ってしまう。たかが家を失うだけ、ではないのだ。

そしてそれを建てなおしたら終わりではない。一度壊れたコミュニティーが元に戻るには大変な時間がかかる。普通にかわしていたご近所との挨拶や会話、それが当たり前の時には何も思わないが、情けないかな、それを失ってその大切さがわかるのである。

多少の増改築をするのにも、工事期間中は、ストレスがたまる。日常当たり前にできていたことができなくなるからだ。それが、自分の意志ではなく仕方なく家を追い出されて、別の場所に住む。これだけで大変なストレスになるのである。それがいくら綺麗な仮設住居であってもだ。一番怖いのは、それがストレスと感じられない場合だ。ある日突然ドーンと来る。そして気が付いた時には健康を失っている。

真備は高齢者も多い地域だが、通常住宅を建てる時には、ローンを組む。そして融資を受ける関係で火災保険に入っているものだ。現役時代にローンを返し終え、退職金をもらって、ローンはなし、年金もあり、悠々自適の生活、人生設計。しかし、住宅ローンを払い終わっているので、そのまま火災保険に入っていなかった人が多いと聞く。そうなると、老後の貯えを切り崩して、新たな家を建てたり、リフォームしなければならず、老後の資金に大変な不安を抱えることになる。それでもある程度貯えに余裕がある人はいいが、余裕がなければ再建は断念し、借家住まいとなる。

住宅ローンも払い終え、悠々自適の老後だったはずが、全く思い描いていたものと違ったものになるのだ。私の場合多くの建物が被災で全壊したが、用心深い性格のため、全て保険には入っていたが、様々な保険会社と契約していたので、いろいろとその対応の違いが分かった。当然対応の良い保険会社とそうでない保険会社とでは、雲泥の差があったわけだが、しかしながらここでそれを述べると、営業妨害のそしりを受けるやもしれないのでやめておくことにするが、くれぐれも同じような火災保険でも、保険会社によって対応が全く異なるので、よくよく調べて、慎重に選ぶべきと思う。酷い対応の保険会社は本当に被災者に対して、ありえないような発言をする担当者もいたのである。

家の再建には何千万単位の金が要る。行政の支援などは全くあてにできない。受けた被害の大きさに対して支援は焼け石に水、スズメの涙だ。もらえるだけでもありがたいと思えということである。国家は本来国民の生命と財産を守る義務がある。それと引き換えに強権をもって税金を徴収するのである。しかし、再建はあくまで自己責任で、ということのようである。国家に期待してはいけない。私は、被災して、国家などあてにはならないことを改めて激しく学んだし、当然のことながら、自分のことは自分でしか守れないことを、改めて肝に銘じた。もちろん私自身、被災前からそう思って生きてきたので、改めて、ということである。国家に甘い幻想を抱いているとしたら、早急に改めて、自己防衛すべきであることを強く進言したい。

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2019.11.11

独立・起業21周年を迎えました。

世界最大級の設計事務所「日建設計」を辞めて、独立し、自分の設計事務所を構えて、11月9日で、丸21年となった。

考えてみれば、私が現在、一級建築士であり、独立した設計事務所の所長であり、その後、総合建設会社「小野コーポレーション」を設立し、家業の瓦業も継いで、代表取締役社長として仕事をしているのは、自分の中でも、人から見ても周知の事実、「当たり前のこと」である。

もはや、50才を過ぎ、半世紀生きてきて、人生を振り返ると、建築を志したのが15才の時。

絵や文章を書くのが好きな内気な少年が、その時から苦手な数学や理科を克服しないと、大学で建築を学べないことを知り、七転八倒。建築をやるために勉強をした。その後、大学、大学院と進み、日建設計に入り、一級建築士を取得し、独立。現在に至る。

15才のその当時の自分の目標とした姿が、現在、「当たり前のこと」として、ほぼ100%実現しているのが不思議な気がする。中学生の時に書いた日記の通りになっているのに唖然とする。

独立したらしたで、継続してやっていけるのだろうか、いろいろ苦悩する中であがき、気が付いたら21年もの間、社長をやってきた。多くの建築作品を造り、設計だけなら楽だけど、施工も全て我がの会社でやるという途方もない夢を見て、実現してきた。人を初めて雇い、教育し、会社も成長してきた。

 寝食を忘れて仕事をしてきた。

遊びたいのも怠けたいのもさぼりたいのも我慢して、義理も人情も欠き、仕事のみにかけてきた人生。全てに仕事が優先する人生。病気もしたし、怪我や災難、地震や火事や水害にもあってきたが、あきらめることはなかった。ある意味、しぶとく、しつこく、融通が利かず、真面目過ぎる人格だと自分でも思う。

それもひとえに15の少年の時に、建築に魅せられてしまったからだ。だから私は職業選択に迷ったことはない。何を将来やろうか、とかどの道に進みたいか、道を変えたら上手くいくのではないか、なぞという悩みはなかった。逆に建築をやれなくなることの脅迫観念があっただけだ。結局この物を造る仕事をしたい、美しい空間を見てみたい、自分の理想を実現したい、という意欲は、言葉では説明できない。振り返れば、全ての私の行為は、そのための言い訳でしかなかったことに今更に気が付く。

建築を仕事にできたことは、私の誇りであり、それを継続できていることは私のプライドだ。また、建築デザイナーであり、設計者であり、現場監督であり営業マンであり、ネゴシエーターであり、経営者である。15の時、すでにそういう総合力で勝負できる男になりたいと思っていた。ただのデザイナーや芸術家ではなく、全てを自分でできる男になりたいと思っていた。

 私にはまだまだやりたいことがいっぱいある。

一時期、セミリタイアなどに憧れ、半分そういう生活をしていたことがあるが、たとえそれが経済的に可能であったとしても、私から建築と仕事を取ったら何も残らない、空虚で無意味な人間でしかないことに気づき、世間と逆行し、50才を過ぎてからリタイヤなぞという考えは微塵もなくなった。

 体力と気力が続く限り、建築家と経営者であり続けるつもりである。

 独立起業50周年を目指して!!

 

 

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2019.10.29

水害からの復旧~その7~まとめ

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この度の台風19号の被災地域に容赦ない雨が降り、水害を体験した者として、その不安と困難さが痛いほどわかるだけに、ニュース映像を見るのが辛い。

私自身が、被災から二週間経過した頃を思い出す。仮住まいのホテルに宿泊しながら、毎日、長靴と作業着で片付け。目が痛くて仕方ない。汚泥が乾き、粉塵が目に入り、朝起きると目が赤くなっていて、被災地へ入ると、痛みでずっと目が潤む。咳き込み、肺もおかしい。暑さで体力を消耗し、果てしなく続く作業に途方に暮れる。

このころはもうほとほと弁当やパンに飽きて、きちんと調理した暖かいものが食べたくなる。毎食弁当というのがこれほどきついものだと、初めて経験する。当初、なんとかなる、数か月で復旧できる、なぞと甘く考えていた幻想は崩れ去る。できるだけ明るく作業しようとするが、作業を進めるにつれ、己が失ったものの大きさに真に気づき始める頃だ。

一番こたえたのは写真やビデオを失ったことだ。己の建築作品や工事過程の写真は私の人生そのものなので、非常にショックはでかかった。またそれ以上に、家族の写真が泥まみれになり、貴重な思い出、人生の軌跡が泥に浸かっている姿は、想像以上に相当に私の気力を萎えさせ、叩きのめしてくれた。失った経済的損失以上に、二度と取り戻せないものを失うのは辛い。

経済的なものは己の努力でいくらでも取り戻せるが、努力してもどうにもならないものは喪失感が大きい。私は相当な映画好きだが、大好きな、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラが、故郷の荒れ果てた農園帰り、復興を誓うシーンを何度も思い出していた。掲載した写真は、まさに真備町が地獄の惨劇となった、ごみの山である。道路上に山に積まれたごみの姿は、まさに爆弾でも落ちた後の戦場にしか思えなかった。この時は、「ランボー」のテーマ曲が頭に流れ、戦場で戦う戦士にでもなった気分で毎日被災地に入った。このような話を書くと笑い話のように聞こえるかもしれないが、そのような面白おかしい妄想でもしないと、毎日が生きていけなかったというのが現実である。

この時期、真夏であったので、ごみと汚泥によって大量のハエが発生した。それも見たこともないようなとんでもないでかいハエなのだ。セミではないか?と思うほどでかいハエ。高齢の方に聞くと、昔はこういうハエがいて、牛の糞を食べるハエなのだと。まさに汚泥はただの川の水ではない、汚水や油の混じった、まさに汚泥なのだ。

真備の時には、子供や学生が片付けの手伝いに入り、それがいい話のように言われた。それで実際に、原因不明で、子供の皮膚が赤く被れたり、熱を出したりする事例が多く発生した。何人もの医者に聞いたので間違いない。今日はニュースで、子供に作業させないように言っているところがあったが、それは正解である。被災地は危険極まりない。子供は保護し、できるだけ屈強な大人が作業すべきだ。今は秋なのでどうかわからないが、真備の場合は泥が乾いてきた頃が本当に悲惨だった。真備の町全体が遠くから見るとかすむくらい粉塵が舞い上がっていた。その中で作業するのは悲惨であった。

今の被災地は、もう寒さとの闘いとなっているのだろうか。すでにめいいっぱい頑張っている人に頑張って、とは言えない。被災者だから痛いほどわかる。ニュースで泣いている人を見ると本当に感情移入してしまい、私も辛くなる。気持ちが痛いほどわかる。暖かい言葉やボランティアの方の助けは本当に有難かった。しかし、苦労して築いた資産や生活、人生の思い出の品々を一瞬で奪われた、本当の苦しみは同じ目にあった被災者にしかわからない。私も離れている多くの友人から激励を頂いたが、一番癒されたのは少し前に別の災害で被災し、立ち直った友人の言葉だった。頑張って、とか元気出して、とかではない。

「大変やろ、俺も本当大変やったからわかるわ。一日一日できるだけでいいよ」

言葉は少ないが、本当に被災した人間にしか言えない言葉なのだ。この言葉に本当に救われた。何に苦しんでいるか、わかっている人間の言葉。私もまだ復旧のさなかにあるが、今復旧の佳境にある方に、

「いつまでも続きません。必ず終わりはあります」。

私は阪神淡路大震災時、西宮に在住していたので、あの阪神高速が横倒しになった場所から数分のところで被災した。その時も水道、ガスが使えない生活を半年以上した。大阪に出ると何事もなかったような生活がある。この度も倉敷に出ると、全く何もなかったような暮らしがある。災害は無情である。その時は大変だったが、阪神淡路の経験は、建築家である私にとって、しなくてはならなかった経験だと今は思える。建築とは何か?何のため建築の仕事をするのか?について深く考えなければならなかったし、その後の建築の仕事に対する姿勢が大きく変わった。

あれから四半世紀が過ぎ、もうすでに半世紀以上生きてきた私の今後の人生に、この度の水害はいかなる意味をもつのか?今はまだわからないが、二度の大災害を経験しても、決して屈することなく、復興していくことに意味を見出している。

この度の災害復旧もあと一か月で完全に終了する。

 

    「バケツ一つまで、必ず、全て、元通りに戻す」

被災から2か月後に私が打ち立てた誓いである。

あと一か月でその任務は完全に完了する。

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