« 「築250年の家」古民家再生 | トップページ | 大分大学紫岳寮(1) »

2012.02.28

「築250年の家」の犬と古民家再生

P1000700 あまりによく寝ていてかわいいので思わず写真をとってしまいました。とてもよく寝ていました。周りの騒音や騒がしさなど関係なし、マイペースです。

人間もこんな調子でいけたらいいのですが、なかなかそうはいきませんよね。

今日でだいたい屋根の工事は終わりました。これから本格的に内部へと入っていきます。

また長い長い工期になりそうです。本当に大きな大きなお屋敷です。

明日からはまた別の古民家再生工事も始まります。何度経験しても着工の日は気が引き締まります。また、新たな長い道のりのスタートです。

再生と新築は両方やってみて、施主様にもよりますが、明らかに想いの深さが異なります。また、この古民家再生という仕事は、いわゆる一般的に言われるリフォームとも全く違います。同じようなノリで扱われている広告等を見ると本当に悲しくなります。ただ流行りに乗っただけのような・・・。

綺麗にしよう、ということではないのです。いかにできるだけ原形を残し、快適な空間を提供できるか、というところで勝負しているわけです。綺麗にすることより、どちらかというと私の場合、先祖が造った元の姿に戻すということが主眼なんです。

最初から設計するなら光と風をふんだんに取り入れ、構造的にも明快な建物を造ることは簡単です。設計の力がそれなりにあれば・・・ですが。再生はその建物の当たり前の、基本的な要素を満たすのにまず大変苦労します。そしてその先にデザインや素材、テクスチャーがあるわけです。

再生を中心に仕事をしてきた私としては、新築をするのは楽しいばっかりです。再生はまずは苦悩があります。現場に入ると更に困難が待ち受けており更なる苦悩があります。しかしそれを必ず乗りきって、納得のいくものにしてきました。

だからこそ、その苦悩こそ、画期的な再生を思いつくまでの試練でもあると思います。また人間は困難や苦悩があるからやりがいがあるわけです。そして出来上がった時の喜びもひとしおであり、建築をやっている人はそれがあるので苦しくてもやみつきになるのだと思います。

だから、ちゃちゃっとやって一丁上がりというものに喜びはありません。そう考えると今の家はあまりに、設計も、現場も短すぎるわけです。ですから自ずと私はこういう再生の方へ行ったと思うし、私の性分にもあっていたと思うわけです。

新築は机上である程度考えられます。再生は現地へ行ったりきたり、見えない空間を想像する日々が続きます。全部解体して考えれば早いようですが、そこで生活がある限りそうはいきません。

私が再生の場合に設計だけではなく、設計・施工ができる会社が必要で、そういう会社を自らが起業し作ったのはそこに大きな理由があります。設計事務所だから設計だけとかいう理屈ではなく、自分の思ったように納得のいくまで物造りをしようと思ってひたすらやってきたら、今の会社の形態になりました。

設計事務所として恥ずかしくないレベルの設計を、時間をかけてしっかりとやり、図面を作り、大工も瓦も、外注に出さず、左官も板金も社内でしっかりやれる、そして新築ではなく、古民家を会社の中心においてやっている、という会社。

お客様から聞いていつも驚かされます。そういう会社はなかなかないと皆様言われます。私としては、家業と自分の設計をする、という特性を融合し、ただひたすら古いものに価値を見出だし、捨てられるはずのものを生かし、古いものをいとおしみ、治してきたということに尽きます。

結果として、建築全体から言うと再生の需要は少なくても、確実にそれを欲しているお客様から信用していただける会社になっているのだと思います。

方々からお褒めをいただいていることを力とし、それに甘んじることなく、これからも更に独自の進化をし、スペシャリティを磨いていきたいと思っています。

|

« 「築250年の家」古民家再生 | トップページ | 大分大学紫岳寮(1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「築250年の家」の犬と古民家再生:

« 「築250年の家」古民家再生 | トップページ | 大分大学紫岳寮(1) »