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2012.04.19

お年寄りの話し~その2~

昨日の話の続き。

いろいろなお話をさせていただいたが、一番興味深かったのは戦艦大和の話しである。私の認識では、沖縄に応援に行っている途中で無念にも撃沈したということであるが、その当時呉の海軍におられたご主人は、当時の周囲の話をよくご記憶になられていた。

戦艦大和。それはそれは巨大な島のような軍艦。しかし、その当時すでに巨大戦艦は航空母艦にとって代わられ、出向しても、魚雷攻撃や空からの戦闘機によって撃沈されるのはわかっていたとのこと。途中攻撃されるのは明らかで、到底沖縄までたどり着けるとはだれも思っていなかったというのだ。もちろん口には出せないが。

それが呉の港が空襲を受け、一度も出向することなく沈んではあまりにかわいそうだ、また戦費の無駄遣いのそしりもうけようということで、とりあえず早く出せということで、沖縄に向かったとのこと。

これはニュアンスの違いだが私にとっては大きな驚きだった。活躍を期待されていたが、無念にも沖縄にたどり着くことなく散ったと思っていたのだが、散るのはわかっていて出したというのでは趣が全く異なる。

それとこんなことも言われていた。負けるのはもうわかっていたのに見栄を張り、出した。出さなければ3000人も死ぬことはなかったと。呉の港で沈められていれば人は乗っていないんだからと。

これはなんということか、これでは戦艦大和は棺桶と同じではないか。

こういう実際にその場にいて、その時代の空気を感じていた方の証言はとても貴重だ。本や資料ではわからない。18歳の時のこととおっしゃっていたので、外地へ行かないうちに終戦となり、生きていると。それより上の世代はみんな死んだんじゃと。

戦争を体験した方から私はたくさんお話をお聞きしてきた。大学生の時の調査でそういうことになったのだが、これによって私の国家観はできたと思う。彼らの話を聞いて、学校で教えられてきたことが全て嘘っぱちであると知った。

教員は、戦争は悪い、日本は悪い。それしか言わない。戦争をしたくてしたわけではない。日本は追い詰められ、その中で最善を尽くした。その戦争で戦った人たちにもっと名誉を与えるべきだ。戦争へ行ったことさえ隠さないといけないような国はない。一生懸命国の為に戦ったのだ。

日本はその当時の世界の中でなんとか生きていく為に必死でもがき、考え、多くの犠牲を払って頑張ったのだ。その頑張った人たちのことを教えずに、今の日本は新たに作られた。だから今行き詰まっているのだ。

累々と横たわる屍の上に今の我々の生活がある。そのことを忘れてはならない。本当に悔しかったと。考えたら想像できるだろう。一生懸命苦しさに耐え、あらゆるものを犠牲にし、勝つと信じていたが、最後は負けた。その中で立ちあがってきた。それを日本は間違った戦争をした、悪かったの一言で片づける学校教育とは何なんだ?

若い人にそのことを教えていかなければいけない。私は戦争を体験した人の話を直接何千と聞いてきた。次の世代はもう直接は聞けないだろう。だからこそ今度は我々の世代が聞き伝えなければならない。

この日のお話の最後にご主人が、沈みゆく夕陽を見ながら

「馬鹿な戦争をしたもんじゃ」と一言おっしゃった。

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