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2013.04.17

ステンドグラス考察

P1000255P1000256私は、自身が古民家再生する民家に、ステンドグラスを使うことがしばしばある。

古民家にステンドグラスという、ちょっとヨーロッパ的なものが意外にもよく合う。

写真は現在再生中の建物にはめ込まれたステンドグラスである。

まだ壁は仕上げが入る前だが、光が差し込み、ステンドグラス特有の美しさを醸し出す。綺麗だ。

このステンドグラスはお施主様が選ばれたものだが、私の経験上、お施主様の好みで何を選ばれてもあまり失敗することはない。自然に調和する。

日本的な古民家と、一見西洋的なステンドグラス、なぜ調和するのか。

これはステンドグラスという技法が、洋の東西は違えど、数千年という長い歴史を経てきていることと無縁ではないと私は思っている。

私は古建築が好きで、若い時から今に至るまで、古い寺社や城を見て歩くのが趣味だが、最初の海外旅行はフランスであった。

当時まだ学生でかなりな貧乏旅行だったが、コルビジェの建物の実物を見たいという執念だけで、パリに行き、数か月かけて、ほとんどの作品を見て回ったのである。

住宅など人が住んでいて、中には入れない建物もあったが、遠く日本から来た!とお願いし、中へ入れてもらい、お茶までいただいたりした。建築を学びたいという情熱は今思い出しても半端ではなかった。

建築に詳しい方はご存じだろうが、コルビジェの晩年の作品に、「ロンシャンの教会」というのがあって、近代建築ではあるが、暗い空間の中に突如として現れる、壁面いっぱいのステンドグラスの光のシャワーに感動し、涙が出てきたのを覚えている。

その体験は、若かったせいもあり、強烈に私の心に刻まれた。

その後、古いものも見ておこうと「おまけ」のつもりでゴシックの教会等も見に行った。ところがおっとどっこい、パリ郊外にシャルトルという都市があるが、そこにある「シャルトルの教会」を訪ねた時に、またしてもその光の芸術の壮大さに圧倒された。

暗い空間を入るとその中に広がる世界は、この世のものではないようだった。色とりどりのステンドグラスの世界は荘厳に尽きた。その後色々な教会を訪ねることになるのだが、特にこのシャルトルのステンドグラスは荘厳で薄っぺらなものは一つとしてなく、特にブルーが美しかったのを覚えている。

コルビジェもこのステンドグラスを見ていないわけはなく、それを近代建築に反映させ、あのロンシャンを造ったのであろう。

千年以上の時間差のあるステンドグラスだが、どちらも例えようのない美しさだ。

それまでの私のステンドグラスの印象といえば、子供の頃の記憶で、古い病院で見かけたような、陰鬱で暗いイメージしかなかった。

それが、180度の転換をなした瞬間だった。サラリーマン設計士をしていた頃はなかなかいろいろな事情があり、思ったことはできなかったが、独立してからというもの、この古民家再生を主眼としてからは、積極的にステンドグラスを取り入れてきた。

ステンドグラスと古民家は、歴史あるもの同士よくマッチする。このたびは施主様もステンドグラスがお好きで、いろんな場所に取り入れることとなった。

下に置いてあるときは眠っていたが、光がさすところへ設置するや、本来の生気を取り戻し、空間の中に映える。

日常の生活の気分が楽しくなる。ステンドグラスを通して、光は別の表情を見せ、空間に潤いを与える。

古民家を設計する時、私の心の中には、いつも「シャルトル」と「ロンシャン」の光がある。

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