« 古民家と車庫 | トップページ | ホームページに新しい「作品」をアップしました。 »

2013.08.19

後楽園の「幻想庭園」と「能」「狂言」

P1000003先日、後楽園内の能楽堂で行われた「能」と「狂言」を見に行った.

建築でも、音楽でもそうだが、この生で見る迫力に勝るものはないので、できるだけ機会があれば見るようにしている。

「能」や「狂言」を見ていると、日本人としての古い記憶が呼び起こされるようで、とても気持ちがよい。

元来このような日本的なものが好きで、この建築の世界に入った。

若い修業中の身の時には、日本全国、多くの神社、仏閣を見て回った。それは今の仕事に確実に繋がっている。

私の場合、「能」そのものよりも、建物を見ている時間の方がずっと長かったかもしれない。その幻想的な音楽と、衣装、演技とライトアップされた能舞台は、まさに幽玄の世界であった。

一夏の夜の夢とでも言おうか。

物を造る、創造する仕事をしている者は、机の前に座っているだけでは絶対いいものはできない。物を考える時はそのイメージを先に作らねばならない。

その創造のイメージが一番大切だ。出してばかりではダメで、創造する限り、いろいろなものを見続け、その感性を磨き続けなければいいデザインはできない。

私の場合は古民家を本業・専業にしているので、そのいにしえの伝統的イメージをどう造り、継承していくかが勝負である。

安易な、モダンデザインではどうしようもない駄作になってしまう。そうならないために先人の造ったもの・・・・そう、莫大な予算と、莫大な職人の労力をかけて造られた、古い「良いもの」をいつもよく見ていなくてはならない。

それはある意味、我々が大学で受ける、モダニズム建築の呪縛を取り払うことからはじめなければならなかった。

古い日本には建築家なる人種は存在しなかった。数千年かけて、日本の建築を造って来たのは名もない職人たちだ。逆に言えばその莫大な名のない、職人たちの英知のの結晶によって古建築、伝統工法は成り立ち、造られているのだ。

現代のデザインや技術の方が、進んでいる、という前提の思考は、大きく古民家再生の手法を間違うことになる。

わずかなデザイン力で、一代限りの者が悦に入ってやってもかなうわけがないのだ。

謙虚に、その古来の伝統に従うように、尊敬し、そして、寄り添うように、そっと付け足させてもらうのだ。

「古いものを生かす」これを信条としてやってきた。生かさなければ、建て替える方がいいのだから。新築より、より良くならなければならない。

闇夜に浮かびあがる「能楽堂」の姿は、また私の創作意欲を掻き立てた。

「この日本なるものの素晴らしきかな」。

ふと、大学時代に、自由課題で、能楽堂を設計したことを思い出した。勿論、現実には建たないものであったが、その当時から、まわりがモダンなものばかりを設計する中で、私は日本なるものが好きで、能楽堂を設計していたのだ。

私の起源はもうその頃からあったのだと思った。そして今、人様からお金を頂いて、その日本なるものを再生する仕事で生きていくことができることに深く感謝した。

|

« 古民家と車庫 | トップページ | ホームページに新しい「作品」をアップしました。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 後楽園の「幻想庭園」と「能」「狂言」:

« 古民家と車庫 | トップページ | ホームページに新しい「作品」をアップしました。 »