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2015.10.24

大分大学紫岳寮の現在

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大分大学紫岳寮のことについてはこのブログでもたびたび書いてきた。

(写真は中庭から南寮と北寮を見たもの、屋上からの景色、九州一広いと言われるキャンパスが広がる)。

当時、絶対に寮内に、国や大学の関係者は入れなかったし(特別な行事以外)、国や大学本部と寮は基本的には敵対するものであった。

寮体制を崩壊させ、大学の管理下に置こうとする大学や国との戦いであった。

国や大学のその動きを絶えず警戒し、対策を練ってきた。その当時に我々役員が、一番恐れたことは、学生のみで自治を行う、「自主管理・自主運営」の旗印が国によって奪われることである。

体制が崩壊することである。

そして卒業後20年以上たった今、その当時一番恐れていた姿の寮が目の前に現れた。

寮は国家公務員の大学職員が常駐し、全室個室、シャワー・ミニキッチン付き、自治権など全くない。全てが面影がないほど全面改築されている。一番驚愕したのは、北寮と南寮のうち南寮が女子寮となっていることである。

一応写真のような扉でセキュリティーがかけてあるが、当時全く冗談で言っていたことが現実になっていた。あり得ない現実。窓の対面が女子寮なのである。我々の時代は、女子寮は離れた別敷地にあった。

それで問題が起きないか?と今の管理人に聞くと、現在の大学生は草食?で、男子寮と女子寮が隣接し、繋がっていてもたいした問題にはならないらしい。男子は女子寮には入れないが、女子は男

子寮側に自由に出入りできるらしい。

Dcf00178_2玄関近くに我々が、誇りとして背負い、シンボルであった、寮の看板が、過去の遺物のごとく「展示」してあった。

紫岳寮(男子寮)と女子寮(藤蔭寮)の玄関に掲げてあった木表札である。

その下には、新しくなった寮を、文部科学副大臣が視察にきた様子が写真入りで誇らしげに飾ってあった。

とうとう寮は自治権を国に返上したのだ!

それまで私もにこやかに見学していたのだ、が・・・・。これを見た瞬間に、20年前に精神がタイムスリップした。

           「この野郎」。

当時の思いを走馬灯のように思い出した。寮は敗北したのだ。

当時、私が総務委員長の時、大分大学長から「君が総務委員長のうちに自治権を大学に返さないなら君を退学させる」と。圧力をかけられた。

また工学部の学部長からも「寮の体制を変えなければ君に単位を与えない」と。いわれもない因縁。自分で言うのはなんだが、当時私の成績はオール「優」であった。

「やれるものならやってみろ」。

一歩も引かなかった。寮と共に討ち死にする覚悟で腹をくくっていたからだ。

そんなことを思いだした。あれはなんだったのか・・・・・。

私たちが頑張っていた、その間は、貧乏でも大学教育を受けられた。寮がなかったら経済的問題で大学を辞めなければならない者がたくさんいた。

そして一緒に見学した仲間たちが、この寮があったから今の自分があると皆が思ってくれいていることが自分の宝である。

そして、苦労していろんなことを乗り切ったことによってついた根性があるから、今の自分や皆があるし、同じ釜の飯を食い、一緒に毎日風呂に入り、裸の付き合いをした仲間だからこそ、ブランクがあっても会えばすぐに当時に戻れる。

そんな一生の財産である友達を授けてくれた、それだけでも長く続いた紫岳寮の存在意義はあったと思う。

そして、今、改めて言いたい。

紫岳寮よ、ありがとう。そして我々が青春をかけ、友情を育んだ学寮よ、永遠なれ!

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コメント

寮の先輩の活躍をいつも励みにしています。
サンシャイン池崎も紫岳寮出身らしいです。
小野さんも応援してやってください。

投稿: 07生 | 2017.04.17 22:48

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