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2017.11.17

腰瓦の補修

001倉敷美観地区を散歩中、左官が腰瓦の漆喰補修を行っていた。

散策して帰っても、遅々として進まない。

現代社会において、全く合理的ではなく、機能的には他の物で代替できる、気の遠くなるような手間のかかる作業だ。

黙々と作業する。

最近ではこのような帯を付けていく作業ができる左官はめっきり少なくなった。

それは当たり前で需要がないからだ。

せいぜいこのような景観保存地区で、昔のやり方で再生する、復元する、とかいう文化的な意味のために行う仕事くらいしかない。

今となっては必要のない技術だ。ごく一部の職人が残っていけばよいことで、メンテナンスができないので、なくなってしまうと困るが、広げていく技術でもない。大きな商売にはなり得ないしあまり社会的な価値もない。

昔はこの腰瓦をたくさん貼っていることが分限者(金持ち)の象徴だった。手間がかかるからだ。手間がかかるということは分がかかる、金がかかる、だから金持ち。自己顕示欲の象徴そのものだったのだ。

私はこの20年、古いものを直すことに心血を注いできたが、昔繁栄した庄屋などは、蔵一面に腰瓦を張り付けたりしているのも多々見てきた。グロテスク過ぎて、気分が悪くなるものだ。

私は文化財を保存・復元するのが仕事ではないから、そんなものは取っ払って、壁を構造補強してシンプルに漆喰を塗る。もちろん、アクセントで費用が掛からない程度に、腰瓦を復元することも多いのだが・・・。

先日弊社が行った再生では、腰瓦をすべて取り外し、一枚づつナンバーリングして、すべて復元した。気が遠くなる作業だ。

費用があればできる。

が、ないならないで、やり方はあるのだ。同じようにしようとするから、莫大なコストがかかり、その結果、建物は放置され、子孫からも嫌がられる。挙句の果てに、空き家となり朽ち果てるか、解体撤去される。

そういう成れの果てを何度も見てきた。悲しい気持ちだ。

それならば多少昔のままでなくてもいい、今の時代にあった、メンテナンスしやすい、そして耐久性があり、コストが削減できる方法をご提案するのが、建物の命を伸ばし、生かす良い提案ではないか。

瓦でも昔のままの耐久性がない瓦をそのまま保存して再生してなどというのは無意味なことだ。国宝や文化財ならいざ知らず、我々がかかわる民家は、そこに経済活動があり人が住み生活がある。

職人や建築家の趣味を持ち込まれたらたまったものではないだろう。所有者はそこに住むのだ。機能性や耐久性、経済的合理性のないものを提案すべきではない。その制約の中で、皆様が、美しいと言って下さる建物にするのが建築家の腕の見せ所なのだ。

美観地区は景観を昔のまま保存するのが目的なので、そうはいかないが、一般の古民家はそうやって妥協点を探して、今までやってきた。

建築家の独りよがりの考えで、コストをかけるべきではないのだ。

腕のいい建築家にかかれば、美しく再生するやりかたはいくらでもあるのだ。

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