« 小田川合流点付替え事業2023年度に完了、という報道、遅きに失する。 | トップページ | 台風21号の被災地大阪へ。災害は他人事ではない。 »

2018.10.09

125年前に起きた洪水の話を長老に聞いた。

先日、ご用命いただいた被災地での仕事。

95歳の長老のお話を伺う機会を得た。

地元で多くの田畑を所有し、農業をされてきた。軍隊にも行かれ、その後、先祖からの家を改築、増築しながら、一方の屋敷となる。

子息とも同居し、悠々自適の生活。そこにこの度の災害である。

齢95歳にしてかくしゃくとし、その喋り、判断力、意志力の強さには恐れ入った。

その興味深いお話の中で、125年前の話になった。

当然長老はまだお生まれになっていないが、この地域に洪水があり、数十世帯の中、わずか残ったのは山際の2棟ほどであり、総社から真備まで家が流され、何もなくなったと。その話が、長老の祖父や父から語り継がれていた。

しかし、農業の利便性や、災害の風化によって、低い土地へまた人々が家を建て、また今の町が形成されたと。そして一世代を越えて、忘れた頃にこの大水害にあったのだと。

この話をお伺いしながら、私はあるデジャブに襲われていた。この手の話はどこかで聞いたことがある。そう、東北の地震の時起きた津波の話だ。どこまで水が来た、津波は真っ黒だった、云々。それを語り継いでいるうちは災害は起きず、忘れて、海側に利便性を求め、家々が形成された頃に、また大きな津波が来たと。

全く同じだと思った。

自然も意地が悪いではないか。災害が起きた後は、皆、万全の対策を取る。そのころには来なくて、世代を越え、忘れ去られた頃にまた全てを破壊する。昔の人は良く言った、災害は忘れた頃にやって来る、と。

人類はそれを繰り返してきたのではないか。それは人間の寿命は50年から100年とすれば、大きな自然災害の周期としては一世代、二世代飛ぶ。だから忘れる。

今や日本全国、どこが被災地となってもおかしくない様相を呈している。

明日は我が身。

我々だってテレビで他地域で被災された方の映像を見て、明日、己がその立場になるとは思いもしなかった。そして皆異口同音に、過去にはこんなことはなかった、とのたまうのだ。それはもちろん自分が生きているうちは、ということだが・・・。

まさに今の東京はそういう状況である。

江戸は、はるか昔から定期的に大地震に襲われてきた。近々では、関東大震災で壊滅的打撃を受けておきながら、そういう定期的に大地震が起きる地域に、再びとんでもない高層ビルを建設してきた。誰も止めようとしない。首都遷都の計画もいまや誰も口にしなくなった。

高層建築の設計をやってきた人間として・・・。こんな危険なことはない。地震の教訓を忘れてどんどんと利便性を求めて、密集した都市を形成してきた。

地震大国日本。どこで地震が起きてもおかしくない国だが、いくら最新の科学技術を投入して対策をするとはいえ、なにも定期的に必ず大地震が起きる場所へ、これほどの巨大建築物、高層建築物を建てなくてもよいものを、と思う。

所詮、経済最優先、100年前のことなど、忘れてしまえ、今の利益を優先、先のことはわからない、頭にない、喉元過ぎれば・・・、という単純な話である。そののりで節操もなく増殖していった街が東京である。

阪神淡路大震災をそのど真ん中で経験し、水も電気もない中、何か月も苦労し、耐震診断をしにボランティアで回り、被害を目の当たりにした身としては、東京ほど危ないところはない。

東京は破滅することが分かっていながら存在し、さらに増殖している世界一危ない都市なのである。毎日が大震災へのカウントダウンなのである。

ただ、地方にいても、ただでは済まない。東京が壊滅すれば、すなわちそれで地方も立ち行かなくなるのはわかりきっている。もちろん日本全体が立ち行かなくなる。

いつ破滅の時が来るか?というだけの話である。そしてその時は間違いなく、確実に来る。それは歴史が証明しているのである。それでも大した切迫感がないのが人間ののんきさ、災害の恐ろしさなのだ。

私を含めほとんどの人は、テレビのインタビューで、

「こんなことが起こるとは夢にも思わなかった」

と、のたまうのである。

|

« 小田川合流点付替え事業2023年度に完了、という報道、遅きに失する。 | トップページ | 台風21号の被災地大阪へ。災害は他人事ではない。 »