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2018年10月

2018.10.29

丹下健三氏と浦辺鎮太郎氏の作品が並ぶ街並み

D1巨匠、丹下健三氏が設計した、旧倉敷市庁舎。

現在の倉敷市美術館。久しぶりに訪ねてみた。

中に入ると、改めて思うが・・・・・コルビジェのパクリ(笑)。

(コルビジェとは、20世紀最も有名なフランスの建築家です)

この窓の深い切れ込みはまさに「ロンシャンの教会」を彷彿させる。

そしてこの赤、青、黄色等の原色の使い方も、コルビジェがよく使ったデザインである。

私は若かりし頃、二か月ほどフランスに滞在し、パリを中心にコルビジェの作品を実際に見て回った。

この時代、コルビジェは偉大でああり、1960年代は、これが許されたのであろう。

我々の世代も、直接的ではないが、コルビジェの影響を受けた先生方から、建築の師事を受けたので、結果的に、コルビジェの影響は大きいと言える。

特にコルビジェの著書は若い時、貪るように読んだのである。コルビジェの代表的な言葉に「機能と形は一致する」「住宅は住む機械である」・・・というような呪縛に、今でも心の奥底で縛られているのは事実である。

また、真っ白に塗られた一面のただの壁(笑)に美しさを感じてしまうのも事実である。

実際、意味のない、すなわち機能のないデザインの為のデザインをするとよく教授から、「このデザインに意味はありましたか?」というようなことをよく聞かれた。

いわゆるモダニズム建築の洗礼である。ポストモダンとなり、その後はなんでもありの建築業界であり、もちろん、私自身も機能を伴わないデザインをすることはたびたびあるが、実はいまだに心の中で少し良心が痛むのである(笑)。

そして、やはりいまだに、コルビジェからの安藤忠雄、槇文彦、谷口吉生・・・・といった直線を基調とした、シンプルなデザインをする建築家の作品が好きである。

ただ、住宅でそれをやると、たいがいは女性から嫌われる。住宅設計をやっていて、奥様に嫌われたら終わりである(笑)。やはり女性には、木を使った丸みのある、優しいデザインが好まれる傾向がある。

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このコンクリートのベランダ(笑)もコルビジェ。

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設計課題でやるような、シンプルな横梁の連続。

これだけばかしの梁の下部をわざわざのぞかせなくても、梁下に天井を張れば配線もできて楽なものを・・・わざわざ見せる。

私も木造でこれをよくやる。これはこれで美しいものだ。

ルイスバラガンの木造建築でもこの梁はよく見るが、彼もコルビジェの信者なのだろうか。

ただ、今見るとこれだけの大スパン吹き抜けを横梁だけ、しかも当時はプレストレスなどかけてない普通のRC梁だと思うが、耐震上大丈夫なのだろうか?と心配になった。

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玄関周りのリブ列柱。連続して美しいようであるが、見ようによっては冷たく、牢屋の縦格子のようにも見える。

ここからは、郷土倉敷を代表する建築家、浦辺鎮太郎氏の倉敷中央図書館。

浦辺氏は倉敷アイビースクエアの再生や、私の親戚でもあった旅館倉敷の再生、倉敷国際ホテル、今の倉敷市庁舎など、倉敷の代表的建物を設計した建築家である。

私は大学院の学生の時、教授から浦辺さんの事務所を推薦されていたので、日建設計に合格しなかったら、浦辺さんの事務所に入っていたかもしれない。

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鋼製の建具、サッシュ。

勿論、全て特注だが、近くで見るとコンクリート打ちはなしがうまくいかず、際をモルタルで塗りたくっているのが、痛々しく、苦労の跡がみえる。

ただ、自分の作品でもこういうリブや縦の上げ下げサッシュなどをよく使い、やはり若い時からいろんな建築を見て回り、気が付かないうちにその影響があるんだなあと思う。

建築をやっている人は、住宅設計しかしない人も、住宅メーカーが建てている建物やその辺のマンションだけではなく、名建築を見て回り、スケッチして勉強することをお勧めします。

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美術館と比べると、中はなんとなく温かみがあるデザイン。

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今日も倉敷川はいつもと変わらず穏やかに流れていた。

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2018.10.25

倉敷 屏風祭りと大原家本宅

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倉敷の旧家の所有している屏風を一般に公開する催し。

以前は単独でやっていたような気がするが、この阿知神社のお祭りに合わせて開催されるようになったのかもしれない。

庭先には生け花を飾られている旧家も多かった。花屏風ということか。

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装飾された鎧・兜を展示している家もあった。

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倉敷では有名な大原財閥。

倉敷中央病院や倉敷紡績、大原美術館などを作った、大地主、大金持ち。未だに倉敷駅近辺の一等地は大原家の借地が多い。


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その旧本宅。

金持ちここに極まれり、といった風情。

隣には緑御殿があり、倉敷川を挟んだ対面には大原美術館がある。

なんせ財をなした者は、美術館を作る。

金を持つと、美術品を買う。それが相当な数になる。結果、美術館を作る、というのも自然の流れか。

上記の写真はその宅地の中の景色である。まるで「街並み」である。これが、敷地内の景色なのである。こんだけ蔵を連ねて、何をそんなにため込んでいたのか?(笑)と思う。

そしてこの庭を見ながら当主は思索した、と説明書きが・・・。それはそれは大した金儲けのアイディアが湧いてきたであろう(笑)と思います。

もちろん大原家は倉敷の発展に多大な貢献をしたのは周知の事実。その美談は子供の頃からよく聞いてきたが、その裏にはこれほどの豪奢な生活があったんだと、妙にリアルに感じられた。

この旧本宅はずっと公開されておらず、いつも外から眺めていたが、最近公開されたらしく、500円の入場料を払って見学させていただいた次第だが・・・・

たぶんそのような贅沢な生活をしていたことを知られたくなくて、今まで公開しなかったのではないか?と思うのは邪推か(笑)。

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2018.10.24

復旧作業の進捗状況~建築は楽しいものである~

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私の場合、所有する建物や不動産も多いので、真備にある建物の浸水被害も大きい。

現在4つの建物の復旧作業を同時に行っている。

もちろん、仕事の受託量は災害前と変わらず、否、逆に受託量は増えているくらいだから、復旧と仕事と両方で、スタッフの皆は勿論のこと、私自身も以前より大変に忙しくなっている。

ただ、洗浄や解体をやっている間は大変苦痛であったが、段々と新しく再生していく段階になると、これほど楽しいものはない。

本領発揮と申しますか、本来再生工事でここまで会社をやってきた者ですから、面白くないはずはないのです。

資金的には十分に新築して立て直すことはできたが、これらの一連の建物は全て私の作品なのである。

よって、自分の子供と一緒である。となれば大変な痛手を負ったとしても作品を元に戻そうとするのは当たり前の行為である。

ダメになったからまた新しいものを作ればいい、ということは芸術家、物造りをやっている者からしたら、忍びない。というか、耐えられない。お金の問題ではない。

だいたい、建築家が、自ら自分の作品を壊す事ほどの苦痛はない。再生するためには、部分的に解体しなければならないが、それをするにも辛い。自分が作ったからだ。あそこはああやって苦労した、あそこは一晩中考えて、このようにデザインした、等々の歴史があるからだ。

そして私は設計事務所(日建設計)出身だが、独立してからは施工まで全て自分の責任で行ってきたから、設計だけやっているのとはわけが違う。材料一つ、ビスの留め方一つ把握している。

私はこの復旧も、工事をした担当者たちと再び行っているが、それぞれの場所で、皆、「そうそうここはこうやって納めた」「これはこうやって苦労した」と口々に出てくる。

やはり、新築した時の皆と復旧して行くのが一番いい。皆自分が作っているから、よくわかるし、思い入れもあるのだ。

10年以上前の仕事も含め、また同じメンバーで復旧ができることが素晴らしいと思っている。

一枚目の写真は、洗浄に次ぐ洗浄で、丁寧にたわしでジョイントや金物の間まで、隅々まで洗っている様子だ。

消毒と洗浄の繰り返しを数十回行っている

焦る必要はない。業務は通常通り行えている

十分すぎるほどの洗浄、消毒、そして十分すぎる以上の乾燥期間を取らねば、しゃんとしたことにはならぬ。

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上記は、その充分以上の洗浄・消毒・乾燥を繰り返し、完璧主義の私の「もう、よかろう」という合格ラインを突破した後、リフォームに入っている建物だ。

やはり、物を造るのはしんどい、が、楽しい。

建築とは・・・たとえ些細なものでも・・・物を造ることは楽しい。

新しい工夫を加えて蘇っていくものは、新築とはまた違う喜びと楽しさがある。

考え出すと、休み食事、夜や昼は関係ない。延々とスケッチをしている自分がいる。

  やっぱり自分は建築が好きなんだな~と気づく瞬間だ。

そしてそれをもとに建物を作っていき、出来上がっていく。そのわくわく感がたまらない。

だから私は、もう30年以上建築をやっているし、20年前に、仕事のメインを新築から古民家再生に切り替えて今まで取り組んできたのだ。

さあ、私の建物が、どんなふうに再生された姿を見せてくれるのか、

楽しみである。

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2018.10.23

倉敷という街への愛着

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私は倉敷で生まれ、倉敷で幼少期を過ごした。

子供の頃、阿知神社が庭で遊び場だった。阿知神社の階段をじゃんけんをしながら登り、倉敷の町を山の上からよく眺めていた。

それが幼少の頃の原風景である。

先日阿知神社のお祭りに行ってきた。子供の頃からうちわで頭を叩かれてきた「すいんきょ」。

大人になった今も、三回も頭を差し出し、叩かれてきた。

Ab002健康で頭が良くなると言われてきた。

子供の時はこれに「阿知の鬼」が加わり、とても恐かった。親の陰に隠れて逃げ惑うが、鬼とすいんきょは容赦なく追いかけてきて、頭を叩く。

子供ながらに恐いものが世の中にはあることを知る。

ただし、今のすいんきょは時代に合わせてフレンドリーだ。

昔のようにお面をかぶっていることをいいことに、やりたい放題のことはしない(笑)。少し物足りない。

子供の頃、倉敷駅のすぐ近くに住み、美観地区を自転車で走り回る日々。同心幼稚園から万寿小学校へ。

それがある日突然、親の事情で真備に引っ越してきた。

子供ながらに自分は倉敷の街の子だと思っていたのに、真備の糞田舎に連れてこられて、本当に嫌だった。人生で初めて世の中の理不尽を感じた。その時のトラウマは今も続いている。

それで真備にいたくなくて18才で大学で県外に出た。九州→大阪へ。それ以来13年間、真備には寄り付かなかった。

何の因果か、31才でまた真備へ戻り事業をすることになったが、真備嫌いは相変わらずで、現在は倉敷の駅周辺に居を構え、倉敷事務所も開設し、倉敷に住み、倉敷で仕事をしている。真備の本社に私がいるのは週の半分以下だ。

そしてこの洪水でそれにより拍車がかかった。真備脱出の積年の願いは奇しくもほぼ実現したのだ。

真備は今でこそ倉敷市を名乗っているが、平成の合併で最近そうなったのであって、真備は真備であり、元々、吉備郡といい、倉敷とは起源も由来も全く異なる地域である。倉敷は天領であり、真備は岡田藩という小藩が治めており、池田藩でもない。文化圏としてはどちらかと言えば総社寄りの地域なのである。



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久しぶりに阿知神社のおみこしを見た。昔私の父もこのみこしに乗って、太鼓を叩いていた。

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ここの出来立てのコロッケは最高。子供の頃に母が一つ買って紙に包んで食べさせてくれた。未だにその味が忘れられず、ここを通ると必ず食べる。40年以上経っても、紙に包んで・・・未だにそのスタイル。

このお店は、商売っ気がなく、土日はかっちりと店を閉めているが、この日はお祭りだからか、開いていた。長い行列ができていた。

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阿知神社の長い階段のふもとにある、焼き立ての饅頭。ここももう子供の頃から食べ続けている。行列のできる店だ。

似たような饅頭はたくさんあるが、ここの焼き立ての饅頭は最高だ。

私は幼少の時、無理矢理に真備に連れて来られて以来、子供ながらに思った、

「くっそー、必ずやまた倉敷の中心地に戻ってやる」

という積年の思いを実現し、倉敷中心部の生活を楽しんでいる。歩いて二分で倉敷駅、アリオ。5、6分歩けば美観地区だ。子供の頃に自転車で走りまくっていた場所を再び散策している。

元々私は真備町での仕事はほとんどせず、倉敷市、岡山市で多くの仕事をしてきた。

被災後も翌日から、仕事は続行し、順調だが、現在、真備の本社、事務所等の建物の復旧も着々と進んでおり、年内には建物も完全復旧する予定でいる。

今後、真備を復旧したら、その後は本格的に倉敷に進出せねばなるまい。

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2018.10.22

大相撲総社場所を見に行きました。

A001先日、大相撲総社場所を見に行きました。

当日の客数は5000人とのことで、満員御礼です。

私はある方のご厚意で、最前列に近い場所で観覧することができました。

子供の頃から相撲ファンで、数年前の倉敷場所にも行きましたが、このように好きな力士に触れられるくらいの距離で観覧できたことに感謝です。

私は、大学の空手道部で副将を務め、その後も30年に渡り鍛錬、全日本空手道連盟公認二段の黒帯を持つ有段者です。

私自身、武道家、空手家の端くれと自負しております。

その目で相撲を見るとき、相撲とはある意味、最強の格闘技ではないか?と思ってしまいます。だいたい我々の渾身の正拳突きが彼らの中段に効くのか?(笑)ということです。

あの分厚い腹にどんな中段をぶち込めば彼らは倒れるのでしょうか?(笑)

そして力士が突進してきた時に、蹴りや突きをくり出したところで、現実にはどうにもならないのではないか?と思うのです。

相撲に興味がない方は、太った人が、押し合う(笑)、くらいなイメージかもしれませんが、実物を見ると、それが間違った認識で、力士の大きさと、そのぶつかり合いの迫力に驚くことでしょう。


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大好きな鶴竜。

亀に似ていて、とてもかわいい(失礼)(笑)ですが、小さな体でとても強いです。この日も、目の前を、行ったり来たりして、コメディな感じに見えて癒されます。ペットボトルを受け取る鶴竜。こういう場面も本場所では見られない、巡業だからこそです。

もう一人、好きな力士、栃ノ心。

この腕力。剛腕で強引に相手を釣り上げて勝つのは見ていて爽快。この日も何番もとっていました。

ご厚意により、大変良い場所で、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

ありがとうございました。

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2018.10.19

ボランティアさんに頭が下がる思い。

先日来ていただいたボランティアさん。

汚水、汚泥を流して、たまりにたまった溝を掃除して下さった。二十歳の娘様とお母様、80代の高齢のおじいちゃん、他5名の方。

しかも皆さんほとんどが関東方面から来て下さっていた。一人の方は東北で津波に合い被災され、その時の恩返しにと、岡山まで来て下さっていた。

お話を聞くと本当に頭の下がる思い、感謝しかない。

そして、私がばたばたしてお手伝いができていないことを詫びると、

「災害にあっているご本人はそれどころではない、やることがいっぱいあるのはわかっています。どうぞ気にされないで下さい」と。

そして、黙々と作業をして下さる。やはり被災された方は、ご自分も経験されているがゆえにわかって下さっているのだと、そう思うとまた熱いものがこみ上げてくる。どうも最近は涙腺が弱くなっていて仕方がない。

ボランティアは無償なのである。給料は出ない。交通費も持ち出し。それでこうやって作業して下さる。果たして逆の立場になったとき、自分にできるか?否、できるできないではない、それは必ずお返しさせていただかなくてはならないことだと、改めて強く、思う。

結局、民間なのだ。民間の助け合い。人の思い。これだけに助けられる。民間こそが力なのだ、とさらに強い思いを持つ。

我々の血税から給料をもらって働いている糞役人や糞政治家。

彼らにもっと誠意があれば、このような悲惨な事態は防げたろうし、今現在もあのような怠慢で愚劣な態度のお役所仕事、しゃくし定規なお役所対応にはならまい。

もちろん鼻から奴らには何の期待もしていないが・・・。

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2018.10.18

ニシナ百貨店さん、オープンに感動

Dcf00164FM岡山でニシナさんの宣伝をやっていたのを聴いた。

「ニシナ真備店がリニューアルオープンしました。真備町の皆様に、ニシナがあってよかったと言ってもらえるように、真備町に帰って来ようと思っていただけるように、頑張っていきます・・・」

正確ではないが、たしか、そのような内容のアナウンスだったかと思う。

不覚にも、ラジオを聴きながら涙腺が緩む(笑)。

そして、先日、真備の本社で仕事している途中、やっと店舗に買い物に行った。

生鮮食品から弁当、惣菜、衣類、日用品まで、被災前と同じように品ぞろえしてあり、ここでしか買えなかった私のお気に入りの商品も買えた。

そしてたくさんの真備町民。親子や夫婦で楽しそうに商品を選んでいる姿。

ピカピカの内装。

歩いているうちに、なぜかまた熱いものがこみ上げてきた。

なぜだろう?自分でもわからない。

ただ、感動した。

「ニシナ百貨店、ありがとう!」

民間の力は凄いもんだ。

意気の良いお花を買って会社に飾った。いいもんだ。花で空間がガラッと変わる。花の力も凄いもんだ。

元々、私は真備に住んでいた頃は、ニシナのファンで、あまり他のスーパーで買い物をしなかった。ほとんどニシナ(笑)。品ぞろえが私好みなのである。

そのニシナが一番にオープンしてくれた。これで、仕事中、昼の弁当も買えるし、お菓子やパンもジュースも自由に揃う(弁当はコンビニでも買えるが、こちらの方が手作り感があって、断然に美味しいのだ(笑))。

もう倉敷からわざわざ買って真備に持っていく必要がなくなった。

有難いことです。

ニシナさんに・・・・感謝。

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2018.10.17

分別回収という行政の愚~行政のご都合主義~

真備町には毎日多くの建設関連業者が入るようになった。内装の撤去・洗浄作業が一段落し、昼間も人っ子一人いないような状態が続いていたが、ここにきて、一気に騒がしくなった。

新築を決めた人は、早々に全撤去し、早いところは、基礎工事が始まっている。また改修でいく人も、多くの業者がリフォーム工事に取り掛かっている。

ダンプやトラックが行き来し、落ち着いて住めるような状態ではない。真備に再び住むと決めている人も、一年くらい後でないと環境は騒がしく、住める状態にはならないと思う。

多くの解体業者が全国から集まっている。5000棟が浸水し、そのうち4000棟程度は全壊。そのうち1500棟くらいが解体されると予想されている。

私自身も、私の所有する4棟の建物のうち1棟は解体、3棟は只今、乾燥中や改築中である。周りを見ていても、やはり古い建物は解体となり、築年数の浅い、比較的新しい建物は再生という場合が多い。

ただ、未だに、全く何もせずに、否、できずに、ただ放置されているだけの家が圧倒的多数を占めている。

阪神淡路、東北大地震、そしてこの度の西日本豪雨。全ての被災地の解体に従事してきたという解体業者に話を聞く。

阪神淡路、東北の地震では津波で浸水した建物の撤去は、分別などぜず、とりあえず早急に復旧が進むように、捨てさせていたという。

私は実体験しているが、阪神淡路の復旧はそれはそれは見事に早かった。

分別は大変な手間を食う。撤去時に分別していては、一棟の解体に一週間から10日もかかってしまう。分別しなければ、2、3日で終わる。

真備での解体は玉島のE地区に捨てるのだが、完全に分別しないと捨てささないという。

多くの解体業者から話を聞いたが、

「被災地のことを全く考えていない。こんなやり方をしていたら復興は全然進まない」

「行政はまた後で分別する費用が惜しいから、民間の段階で分別させている、復興のスピードは後回しだ、民間にまた無理を押し付けている」

「なぜ、とりあえず撤去だけ早くして、分別はあとでしないのか。後で別費用でやればいいではないか」

と、口々に文句を言っていた。

文句である。文句を言えばいい。

とぼけた行政には我々民間は、徹底的に文句を言わねばならないのだ。

それは、きちんと分別回収したほうが良い。行政の手間は省けるだろう。しかし、今は非常時ではないのか?

我々被災民は現在も非常時だが、行政はもはや、わずか3か月でルーティンに入ったのか?(笑)

地方にはなんの関係もないくだらない東京だけのオリンピックなどやめて、被災地の復興に税金を回せばいい。オリンピックなど東京だけが盛り上がっていて、我々地方の人間には何の関係もない。ただ単なる、税金の無駄使いでしかない。

国家は、国民の最低限度の生活を守る義務がある。被災地では多くの人がまだ仮設や借り上げの劣悪なアパートにいる。国家はその義務を果たしているか?

莫大な血税を巻き上げた上で、更に消費税を上げるのを決断されるのは結構だが、それだけの見返りを国民に与えているか?糞役人や糞政治家に贅沢をさせるために我々民間は額に汗して働いているのではない。

特に糞警察は、我々の税金で飯を食っておきながら、何の罪もない人間に偉そうに説教をのたまう資格などないのである。

・・・いつもように、話はそれたが・・・(笑)

全国の被災地を渡り歩いてきた業者の目から見ると、岡山、倉敷、真備のやり方は、まどろっこしく、滑稽に映ったようだ。

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2018.10.11

言い続ければ夢は叶う~約束の地~

Dcf00148倉敷駅の北口。

今、私は、この美しい塔、この美しい景色から、わずか歩いて2分の所に住んでいる。

これは、そう、美しいチボリ公園の残像。

公園はなくなったが、この塔だけは残った。

チボリ公園があった時には、「白雪姫」や「人魚姫」の人形劇をよく見に行った。

私はメルヘンチックでセンチメンタルなものが大好きだ。

今や、チボリ公園は、アウトレットモール、ショッピングモール、アリオに変わった。

すこぶる便利である。ここで全てが事足りる。

倉敷駅へも、アリオへも徒歩2分。

美観地区まで歩いても10分。

これ以上の倉敷の中心地はない。

私の身近な人は皆知っているが、ずいぶん前から私は

「なんらかの形で倉敷の中心地へ住む」

と言い続けてきた。

今回、奇しくも言い続けた通りになった。

生まれた場所、倉敷の中心部に戻った。

まさにそれは、私にとっての「約束された場所」

    

     Promised Land ~約束の地~

・・・そしてもう二度と真備へは戻らない。


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2018.10.10

台風21号の被災地大阪へ。災害は他人事ではない。

3週間ほど前の話だが、私は台風21号で被災した、私の恩人の家屋の復旧の為、大阪にいた。

テレビでは関西空港が使用できないほど被災した映像が繰り返し流れていた。

その後、すぐに北海道で地震があった為、ほとんど報道されなかったが、大阪の民家にも大変な被害が出ていたのだ。

大阪の私の恩人から、私が被災したことで、本当に心からのお見舞いのお言葉と励ましを頂いていたところだったが、まさかわずか一か月ほどで、恩人も、また同じように被災するとは思ってもみなかった。

この時ほど、災害はどこへ来るかわからないと、驚愕したことはなかった。わずか一か月で私がお見舞いの言葉を申し上げなければならなくなったのだ。

大阪は、大阪北部地震と台風21号によって瓦屋根が破壊され、ブルーシートのままの家が多く、地元の業者はパンク状態。ほとんどが修理は1年待ちという状況。恩人の家もそういう状況であった。

一報をいただき、取るものも取り敢えず

    「いざ、鎌倉」

との思いではせ参じた。

主人の一大事に駆け付ける武士の心境。

全てのことを後回しにし、段取りをつけ、スタッフを引き連れ、岡山から全て調達して高速を駆けた。

少しでも、いただいた御恩に報いたい、その一念だけ、それ以外の気持ちはなかった。

なんとか役を終え、安堵した。

その直後に再び台風24号が近畿地方を襲った。

   今の私があるのはその方のおかげ。

間に合って良かった・・・。

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2018.10.09

125年前に起きた洪水の話を長老に聞いた。

先日、ご用命いただいた被災地での仕事。

95歳の長老のお話を伺う機会を得た。

地元で多くの田畑を所有し、農業をされてきた。軍隊にも行かれ、その後、先祖からの家を改築、増築しながら、一方の屋敷となる。

子息とも同居し、悠々自適の生活。そこにこの度の災害である。

齢95歳にしてかくしゃくとし、その喋り、判断力、意志力の強さには恐れ入った。

その興味深いお話の中で、125年前の話になった。

当然長老はまだお生まれになっていないが、この地域に洪水があり、数十世帯の中、わずか残ったのは山際の2棟ほどであり、総社から真備まで家が流され、何もなくなったと。その話が、長老の祖父や父から語り継がれていた。

しかし、農業の利便性や、災害の風化によって、低い土地へまた人々が家を建て、また今の町が形成されたと。そして一世代を越えて、忘れた頃にこの大水害にあったのだと。

この話をお伺いしながら、私はあるデジャブに襲われていた。この手の話はどこかで聞いたことがある。そう、東北の地震の時起きた津波の話だ。どこまで水が来た、津波は真っ黒だった、云々。それを語り継いでいるうちは災害は起きず、忘れて、海側に利便性を求め、家々が形成された頃に、また大きな津波が来たと。

全く同じだと思った。

自然も意地が悪いではないか。災害が起きた後は、皆、万全の対策を取る。そのころには来なくて、世代を越え、忘れ去られた頃にまた全てを破壊する。昔の人は良く言った、災害は忘れた頃にやって来る、と。

人類はそれを繰り返してきたのではないか。それは人間の寿命は50年から100年とすれば、大きな自然災害の周期としては一世代、二世代飛ぶ。だから忘れる。

今や日本全国、どこが被災地となってもおかしくない様相を呈している。

明日は我が身。

我々だってテレビで他地域で被災された方の映像を見て、明日、己がその立場になるとは思いもしなかった。そして皆異口同音に、過去にはこんなことはなかった、とのたまうのだ。それはもちろん自分が生きているうちは、ということだが・・・。

まさに今の東京はそういう状況である。

江戸は、はるか昔から定期的に大地震に襲われてきた。近々では、関東大震災で壊滅的打撃を受けておきながら、そういう定期的に大地震が起きる地域に、再びとんでもない高層ビルを建設してきた。誰も止めようとしない。首都遷都の計画もいまや誰も口にしなくなった。

高層建築の設計をやってきた人間として・・・。こんな危険なことはない。地震の教訓を忘れてどんどんと利便性を求めて、密集した都市を形成してきた。

地震大国日本。どこで地震が起きてもおかしくない国だが、いくら最新の科学技術を投入して対策をするとはいえ、なにも定期的に必ず大地震が起きる場所へ、これほどの巨大建築物、高層建築物を建てなくてもよいものを、と思う。

所詮、経済最優先、100年前のことなど、忘れてしまえ、今の利益を優先、先のことはわからない、頭にない、喉元過ぎれば・・・、という単純な話である。そののりで節操もなく増殖していった街が東京である。

阪神淡路大震災をそのど真ん中で経験し、水も電気もない中、何か月も苦労し、耐震診断をしにボランティアで回り、被害を目の当たりにした身としては、東京ほど危ないところはない。

東京は破滅することが分かっていながら存在し、さらに増殖している世界一危ない都市なのである。毎日が大震災へのカウントダウンなのである。

ただ、地方にいても、ただでは済まない。東京が壊滅すれば、すなわちそれで地方も立ち行かなくなるのはわかりきっている。もちろん日本全体が立ち行かなくなる。

いつ破滅の時が来るか?というだけの話である。そしてその時は間違いなく、確実に来る。それは歴史が証明しているのである。それでも大した切迫感がないのが人間ののんきさ、災害の恐ろしさなのだ。

私を含めほとんどの人は、テレビのインタビューで、

「こんなことが起こるとは夢にも思わなかった」

と、のたまうのである。

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2018.10.08

小田川合流点付替え事業2023年度に完了、という報道、遅きに失する。

倉敷市民に配られる、倉敷市が発行している「広報くらしき」という冊子がある。その10月号に、

「小田川合流点付替え事業が大幅に前倒しとなり2023年度に完了」

という大見出しで、情報が図解付きで告知されていた。

内容の概略は、

国、県は市からの強い要望に応え、総事業費500億円をかけて、「真備緊急治水対策」を実施する。国が進めている小田川合流点付替え事業は、5年間前倒しとなり2023年度に完了し、小田川の掘削、堤防強化や、支流の堤防かさ上げ、堤防強化が集中的に行われる。この対策により洪水時の水位が5メートル低下する。

とのこと。

しかし、時、既に遅し。行政の、政治の、失策。

「遅きに失する」

とはまさにこのことであろう。

すでに多くの人命が失われ、多くの、一人一人の、人生が狂った後だ。

表題にあるように、過去、この計画はすでにあり、一度とん挫し、また再開し、そして結果遅々として進まなかった。

、そんな受動的な表現ではなく、政治が、行政が明確な意思を持って遅らせた、進めて来なかったのである

その結果この大災害が起きたのだ。

だから「前倒し」という表現になるのだ。

起きたことは仕方ない、と言うには、あまりにも被害が大きすぎよう。

これからが、正念場となろうが、町民の多くはまだこの町に帰れていない。夜はまさにゴーストタウンだ。その静けさは怖いくらいだ。

三か月がたち、関心も薄れ、倉敷も真備以外は、本当に何もなかったような、賑やかな連休を迎えている。

真備では、投げやりになっている方も多くいる。復旧・復興を諦めている人もいる。お金がなくてどうしようもない場合や、建て替えや復旧計画がいろいろな事情で進まない事例も多く聞く。高齢も一つの足かせとなっている。

私自身はもう真備に住む気はない。現在、既に住居も別に構え、生活している。ただし、いろいろな角度から検討した結果、当面は、会社と事業は引き続き真備で行うことになるが、将来的には倉敷市街へ進出することになろう。

私はそういう決断をしたが、真備への思い入れがあり、真備に住みたい人もおれば、二度とあの恐怖や不安を味わいたくないと、真備には戻らない決断をする人もいる。それは個々人の価値観により、どちらがいいとか悪いとかいう問題ではない。

ただ、多くの町民はまだ、真備に戻りたい、または戻らざるを得ない方が多くおられるのは事実である。

銀行やガソリンスタンド、店舗など再オープンしているところも少しずつは増えてきたが、まだまだ三分の一にも達していないだろう。逆に廃業を決めた会社や店もある。

水で流された街、災害にあった街がその後発展していった事例は全国にいくらでもある。逆にダメになった街もあろう。

この市からの告知が、我々町民に少しでも勇気と希望と安心を与え、復興の力になればと思う。

この5年間にまた大きな増水が起こることがないよう祈るばかりだが、こればかりは、「天任せ」ということになろうか・・・。

近年の異常気象を考えると、はなはだ不安なことである。

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2018.10.02

台風24号による高梁川の増水

1先日の台風24号により増水した高梁川。一日経ってもこの濁流。

七月の豪雨以来、もうこのような状態の川は見たくない。

考えてみれば危ない話である。

このような川が生活圏のすぐそばを並々と、とうとうと流れているのである。

それが、真備という町である。

台風が接近している時は気が気ではなかった。

豪雨の時と違い、ネットやテレビで定点カメラや水位の情報が刻々と入る。

有難いような、それによってより不安になる。不安になったところで何もすることはできない。

まだ修理も終わっていない脆弱な土手でどれだけしのげるのか?ダムの放流はどれだけ行われるのか?

あれだけ大変だった片付けも収束し、撤去やリフォームがはじまっている中、また浸水したら、真備町民は全くやる気を失ってしまうのではないか・・・。

結果、なんとか台風が去り、持ちこたえた。

ただただ冷や汗ものである。

今後このような異常気象は続いていくだろう。土手が補強され、流れが変わるまで少なくとも5年。

浸水危険地域は真備だけではないが・・・。

この度のことで、私の個人的な考えだが、改めて強く思った。

「こんな所に住むべきではない」

私は、今も真備には住んではいないし、今後もそのようにしようと思う。

あくまで私個人の私見。

社会体育場だったところも水浸し。

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