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2018.10.23

倉敷という街への愛着

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私は倉敷で生まれ、倉敷で幼少期を過ごした。

子供の頃、阿知神社が庭で遊び場だった。阿知神社の階段をじゃんけんをしながら登り、倉敷の町を山の上からよく眺めていた。

それが幼少の頃の原風景である。

先日阿知神社のお祭りに行ってきた。子供の頃からうちわで頭を叩かれてきた「すいんきょ」。

大人になった今も、三回も頭を差し出し、叩かれてきた。

Ab002健康で頭が良くなると言われてきた。

子供の時はこれに「阿知の鬼」が加わり、とても恐かった。親の陰に隠れて逃げ惑うが、鬼とすいんきょは容赦なく追いかけてきて、頭を叩く。

子供ながらに恐いものが世の中にはあることを知る。

ただし、今のすいんきょは時代に合わせてフレンドリーだ。

昔のようにお面をかぶっていることをいいことに、やりたい放題のことはしない(笑)。少し物足りない。

子供の頃、倉敷駅のすぐ近くに住み、美観地区を自転車で走り回る日々。同心幼稚園から万寿小学校へ。

それがある日突然、親の事情で真備に引っ越してきた。

子供ながらに自分は倉敷の街の子だと思っていたのに、真備の糞田舎に連れてこられて、本当に嫌だった。人生で初めて世の中の理不尽を感じた。その時のトラウマは今も続いている。

それで真備にいたくなくて18才で大学で県外に出た。九州→大阪へ。それ以来13年間、真備には寄り付かなかった。

何の因果か、31才でまた真備へ戻り事業をすることになったが、真備嫌いは相変わらずで、現在は倉敷の駅周辺に居を構え、倉敷事務所も開設し、倉敷に住み、倉敷で仕事をしている。真備の本社に私がいるのは週の半分以下だ。

そしてこの洪水でそれにより拍車がかかった。真備脱出の積年の願いは奇しくもほぼ実現したのだ。

真備は今でこそ倉敷市を名乗っているが、平成の合併で最近そうなったのであって、真備は真備であり、元々、吉備郡といい、倉敷とは起源も由来も全く異なる地域である。倉敷は天領であり、真備は岡田藩という小藩が治めており、池田藩でもない。文化圏としてはどちらかと言えば総社寄りの地域なのである。



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久しぶりに阿知神社のおみこしを見た。昔私の父もこのみこしに乗って、太鼓を叩いていた。

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ここの出来立てのコロッケは最高。子供の頃に母が一つ買って紙に包んで食べさせてくれた。未だにその味が忘れられず、ここを通ると必ず食べる。40年以上経っても、紙に包んで・・・未だにそのスタイル。

このお店は、商売っ気がなく、土日はかっちりと店を閉めているが、この日はお祭りだからか、開いていた。長い行列ができていた。

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阿知神社の長い階段のふもとにある、焼き立ての饅頭。ここももう子供の頃から食べ続けている。行列のできる店だ。

似たような饅頭はたくさんあるが、ここの焼き立ての饅頭は最高だ。

私は幼少の時、無理矢理に真備に連れて来られて以来、子供ながらに思った、

「くっそー、必ずやまた倉敷の中心地に戻ってやる」

という積年の思いを実現し、倉敷中心部の生活を楽しんでいる。歩いて二分で倉敷駅、アリオ。5、6分歩けば美観地区だ。子供の頃に自転車で走りまくっていた場所を再び散策している。

元々私は真備町での仕事はほとんどせず、倉敷市、岡山市で多くの仕事をしてきた。

被災後も翌日から、仕事は続行し、順調だが、現在、真備の本社、事務所等の建物の復旧も着々と進んでおり、年内には建物も完全復旧する予定でいる。

今後、真備を復旧したら、その後は本格的に倉敷に進出せねばなるまい。

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