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2019.10.29

水害からの復旧~その7~まとめ

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この度の台風19号の被災地域に容赦ない雨が降り、水害を体験した者として、その不安と困難さが痛いほどわかるだけに、ニュース映像を見るのが辛い。

私自身が、被災から二週間経過した頃を思い出す。仮住まいのホテルに宿泊しながら、毎日、長靴と作業着で片付け。目が痛くて仕方ない。汚泥が乾き、粉塵が目に入り、朝起きると目が赤くなっていて、被災地へ入ると、痛みでずっと目が潤む。咳き込み、肺もおかしい。暑さで体力を消耗し、果てしなく続く作業に途方に暮れる。

このころはもうほとほと弁当やパンに飽きて、きちんと調理した暖かいものが食べたくなる。毎食弁当というのがこれほどきついものだと、初めて経験する。当初、なんとかなる、数か月で復旧できる、なぞと甘く考えていた幻想は崩れ去る。できるだけ明るく作業しようとするが、作業を進めるにつれ、己が失ったものの大きさに真に気づき始める頃だ。

一番こたえたのは写真やビデオを失ったことだ。己の建築作品や工事過程の写真は私の人生そのものなので、非常にショックはでかかった。またそれ以上に、家族の写真が泥まみれになり、貴重な思い出、人生の軌跡が泥に浸かっている姿は、想像以上に相当に私の気力を萎えさせ、叩きのめしてくれた。失った経済的損失以上に、二度と取り戻せないものを失うのは辛い。

経済的なものは己の努力でいくらでも取り戻せるが、努力してもどうにもならないものは喪失感が大きい。私は相当な映画好きだが、大好きな、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラが、故郷の荒れ果てた農園帰り、復興を誓うシーンを何度も思い出していた。掲載した写真は、まさに真備町が地獄の惨劇となった、ごみの山である。道路上に山に積まれたごみの姿は、まさに爆弾でも落ちた後の戦場にしか思えなかった。この時は、「ランボー」のテーマ曲が頭に流れ、戦場で戦う戦士にでもなった気分で毎日被災地に入った。このような話を書くと笑い話のように聞こえるかもしれないが、そのような面白おかしい妄想でもしないと、毎日が生きていけなかったというのが現実である。

この時期、真夏であったので、ごみと汚泥によって大量のハエが発生した。それも見たこともないようなとんでもないでかいハエなのだ。セミではないか?と思うほどでかいハエ。高齢の方に聞くと、昔はこういうハエがいて、牛の糞を食べるハエなのだと。まさに汚泥はただの川の水ではない、汚水や油の混じった、まさに汚泥なのだ。

真備の時には、子供や学生が片付けの手伝いに入り、それがいい話のように言われた。それで実際に、原因不明で、子供の皮膚が赤く被れたり、熱を出したりする事例が多く発生した。何人もの医者に聞いたので間違いない。今日はニュースで、子供に作業させないように言っているところがあったが、それは正解である。被災地は危険極まりない。子供は保護し、できるだけ屈強な大人が作業すべきだ。今は秋なのでどうかわからないが、真備の場合は泥が乾いてきた頃が本当に悲惨だった。真備の町全体が遠くから見るとかすむくらい粉塵が舞い上がっていた。その中で作業するのは悲惨であった。

今の被災地は、もう寒さとの闘いとなっているのだろうか。すでにめいいっぱい頑張っている人に頑張って、とは言えない。被災者だから痛いほどわかる。ニュースで泣いている人を見ると本当に感情移入してしまい、私も辛くなる。気持ちが痛いほどわかる。暖かい言葉やボランティアの方の助けは本当に有難かった。しかし、苦労して築いた資産や生活、人生の思い出の品々を一瞬で奪われた、本当の苦しみは同じ目にあった被災者にしかわからない。私も離れている多くの友人から激励を頂いたが、一番癒されたのは少し前に別の災害で被災し、立ち直った友人の言葉だった。頑張って、とか元気出して、とかではない。

「大変やろ、俺も本当大変やったからわかるわ。一日一日できるだけでいいよ」

言葉は少ないが、本当に被災した人間にしか言えない言葉なのだ。この言葉に本当に救われた。何に苦しんでいるか、わかっている人間の言葉。私もまだ復旧のさなかにあるが、今復旧の佳境にある方に、

「いつまでも続きません。必ず終わりはあります」。

私は阪神淡路大震災時、西宮に在住していたので、あの阪神高速が横倒しになった場所から数分のところで被災した。その時も水道、ガスが使えない生活を半年以上した。大阪に出ると何事もなかったような生活がある。この度も倉敷に出ると、全く何もなかったような暮らしがある。災害は無情である。その時は大変だったが、阪神淡路の経験は、建築家である私にとって、しなくてはならなかった経験だと今は思える。建築とは何か?何のため建築の仕事をするのか?について深く考えなければならなかったし、その後の建築の仕事に対する姿勢が大きく変わった。

あれから四半世紀が過ぎ、もうすでに半世紀以上生きてきた私の今後の人生に、この度の水害はいかなる意味をもつのか?今はまだわからないが、二度の大災害を経験しても、決して屈することなく、復興していくことに意味を見出している。

この度の災害復旧もあと一か月で完全に終了する。

 

    「バケツ一つまで、必ず、全て、元通りに戻す」

被災から2か月後に私が打ち立てた誓いである。

あと一か月でその任務は完全に完了する。

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