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2019.10.18

水害からの復旧~その3~洗浄の仕方

水害を受けた建物。

まずは泥まみれの家具を搬出。泥を袋に詰めて屋外へ出す。その後、洗浄。高圧コンプレッサーで、繰り返し洗浄。数日経過しこびりついた泥は、通常のホースをシャワーにした程度の水圧では到底落とすことはできない。ケルヒャーなどの高圧洗浄機で、繰り返し洗浄する。これが第一回目。取り合えずこの状態で消毒をする。

オスバンS。これはあまりきつくない消毒液で病院などでも手指の消毒などで使われるものだ。水害で使われるのは知れ渡っており、行政で配布されると思う。噴霧器も行政で貸し出すはずだ。希釈して使用する。注意してほしいのは必ず面倒でも、ゴーグルを着用して欲しい。何人かで作業している場合、誤って人にかかることもあるし、高所に噴霧していると自分にかかることもある。私の場合作業中に、他者が噴霧したオスバンSの直撃をくらい、ゴーグルをしていたにも関わらず、隙間から薬液が目を直撃した。直ぐに流水で洗い流し、眼科へ。大事には至らなかったが、その時にはその薬剤がどのくらい害があるのかもよくわからず、相当大騒ぎとなった。普通の人は薬剤の噴霧など慣れてはいないので、十分注意して行うようにしたい。

洗浄の後、乾かしてから薬剤噴霧が効果がある。乾いてないと薬剤が薄まるし、木材等の中に浸透しない。しかし、簡単に木材は乾燥しないから、多少濡れていても薬剤噴霧はしておくべき思う。ただしそれによってどれくらいの菌が死滅するかなど、研究など見つけることはできなかったので、こうしたらよいだろうという程度のことだろうと思う。オスバンSは人体にあまり害のない優しめの消毒薬だと思うが、その次に私はキッチンハイター、塩素系の薬剤で消毒をした。これは相当臭いがきついし、本当に人体にかかると有害だ。だから、使わないほうがいいという方もいる。しかし、みなさんお風呂のカビなどいくらこすっても落ちないものもこのキッチンハイターだと一発で落ちる。そして臭いもしばらくすると全くなくなる。だから、私はそれを採用し、キッチンハイターを柱や梁に降りかけて柔らかいたわしで擦り洗いすることを選択した。

問題はこれを何度繰り返すかだ。何回消毒すれば大丈夫かなんて誰もわからない。そして、これは時間との闘いだ。一か月も放置していると、本当にとんでもないカビだらけになります。洗いきれなかった部分のボードなどを後から撤去すると、その裏からとんでもない量のカビが発生している。結局私は、

高圧洗浄→オスバンS噴霧→キッチンハイターこすり洗い→乾燥(二週間~一か月)を5~6回繰り返した。

一度乾燥した木材をまた洗浄するのはどうかと思ったが、無垢の木は綺麗な水であれば結果としてそう痛まなかった。よって被災してから、半年以上洗浄と乾燥を繰り返した。そして最後の洗浄から二か月以上おいてからリフォームにかかった。現在結果がは良好で、臭いやカビは一切発生していない。

また、結局は外壁はどうすることもできないが、内部は柱と梁を残してすべて撤去した。断熱材、プラスターボード類は当然ながらすべて撤去。水に強い耐力壁の構造用合板も、結局は泥で変色して、もろくなっており、機能は低下しているのが明らかで、結局浸水した部分はすべて撤去した。

洗浄で一番苦労したのは、べた基礎の場合、コンクリートの立ち上がりのあるプール状態になるので、その洗浄水のくみ出しだ。それはポンプを色々と買ってきた試してみた。大方くみ出しは排水ポンプでうまくいったが、最後の数センチはポンプではくみ出せないから、ちり取りですくってバケツに移して運び出す。これは弊社のスタッフやボランティアの人の協力で行ったが、いったい延べどれくらいの人力がかかったか、とんでもない作業量である。でも、やるしかない。これが私が自然災害の被災はまさに近代社会における「強制労働」である、と言うのである。

また布基礎の建物の場合は、床下が土であるが、30センチは鋤取りをして、その上に綺麗な真砂土を入れ、この機にべたコンクリートを五センチくらい打っておくと完璧だ。

私の場合、会社をやっている関係で所有する多くの建物や車両、重機が水没したので、当初気が遠くなるほどの作業量と労働に打ちのめされそうになったが、被災ボランティアをやっている友人から、焦らず、

「今日できる分だけね」

と言われたのが、救いになった。「やった分だけは、進んでるから」、と言ってくれた人もいた。最後は人間はそのような人間の言葉や心遣いに励まされるのである。被災当初は毎日毎日復興の強制労働に加え、事業は事業で止めることは出来ない上、保険や罹災証明の取得、様々な役所手続きなど、今考えても、生涯のうちで一番の激務となってしまっていたと思う。

私は日建設計という激務の設計事務所で長く働き、独立してからも不眠不休で働いてきた時期があるが、それと比べても、ありえない量の労働と仕事量をこなしていくしかなかった。

自然災害は誰しも他人ごとではない。私もそれまでは他人ごとであったのであろうが、他人ごとだと思っていたことが自分に突然降りかかる。日本列島はもはやそういう場所になっているのではなかろうか。

 

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