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2019.11.11

独立・起業21周年を迎えました。

世界最大級の設計事務所「日建設計」を辞めて、独立し、自分の設計事務所を構えて、11月9日で、丸21年となった。

考えてみれば、私が現在、一級建築士であり、独立した設計事務所の所長であり、その後、総合建設会社「小野コーポレーション」を設立し、家業の瓦業も継いで、代表取締役社長として仕事をしているのは、自分の中でも、人から見ても周知の事実、「当たり前のこと」である。

もはや、50才を過ぎ、半世紀生きてきて、人生を振り返ると、建築を志したのが15才の時。

絵や文章を書くのが好きな内気な少年が、その時から苦手な数学や理科を克服しないと、大学で建築を学べないことを知り、七転八倒。建築をやるために勉強をした。その後、大学、大学院と進み、日建設計に入り、一級建築士を取得し、独立。現在に至る。

15才のその当時の自分の目標とした姿が、現在、「当たり前のこと」として、ほぼ100%実現しているのが不思議な気がする。中学生の時に書いた日記の通りになっているのに唖然とする。

独立したらしたで、継続してやっていけるのだろうか、いろいろ苦悩する中であがき、気が付いたら21年もの間、社長をやってきた。多くの建築作品を造り、設計だけなら楽だけど、施工も全て我がの会社でやるという途方もない夢を見て、実現してきた。人を初めて雇い、教育し、会社も成長してきた。

 寝食を忘れて仕事をしてきた。

遊びたいのも怠けたいのもさぼりたいのも我慢して、義理も人情も欠き、仕事のみにかけてきた人生。全てに仕事が優先する人生。病気もしたし、怪我や災難、地震や火事や水害にもあってきたが、あきらめることはなかった。ある意味、しぶとく、しつこく、融通が利かず、真面目過ぎる人格だと自分でも思う。

それもひとえに15の少年の時に、建築に魅せられてしまったからだ。だから私は職業選択に迷ったことはない。何を将来やろうか、とかどの道に進みたいか、道を変えたら上手くいくのではないか、なぞという悩みはなかった。逆に建築をやれなくなることの脅迫観念があっただけだ。結局この物を造る仕事をしたい、美しい空間を見てみたい、自分の理想を実現したい、という意欲は、言葉では説明できない。振り返れば、全ての私の行為は、そのための言い訳でしかなかったことに今更に気が付く。

建築を仕事にできたことは、私の誇りであり、それを継続できていることは私のプライドだ。また、建築デザイナーであり、設計者であり、現場監督であり営業マンであり、ネゴシエーターであり、経営者である。15の時、すでにそういう総合力で勝負できる男になりたいと思っていた。ただのデザイナーや芸術家ではなく、全てを自分でできる男になりたいと思っていた。

 私にはまだまだやりたいことがいっぱいある。

一時期、セミリタイアなどに憧れ、半分そういう生活をしていたことがあるが、たとえそれが経済的に可能であったとしても、私から建築と仕事を取ったら何も残らない、空虚で無意味な人間でしかないことに気づき、世間と逆行し、50才を過ぎてからリタイヤなぞという考えは微塵もなくなった。

 体力と気力が続く限り、建築家と経営者であり続けるつもりである。

 独立起業50周年を目指して!!

 

 

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