学寮「自主管理・自主運営」の旗印の下。その生き様。
いよいよ11月も今日で終わり。
明日から師走に突入です。例年のごとく12月は年末までの引渡し物件でばたばたとしてきます。年末まで突っ走るしかありません。これもまた楽しいことです。
今月は、試みに、「毎日ブログ更新」をやってきました。するとアクセス数は激増。たくさんの方に読んで頂きました。
ただ、だんだんと義務感が出てきたので、来月からは毎日、というのは決めずにやっていこうと思います。
私は独立以来、あらゆる方面から圧力を受けず、しがらみを持たず、たえず自主・自立を貫いてきました。
下請けを全くしていないので、商売上も誰に遠慮することもありません。また、公共事業や役所の仕事は一切やらず、公的な役職等もお誘いはあっても一切固辞してきました。
よって、いかなる政治家や政党にも、お願いされることはあっても、頭を下げる必要もなければ、こちらからお願いをすることもありません。何の利害関係も必要ありません。
私は何かを制約されたり、誰かから何かを言われるのが何よりも嫌なのです。
だから例えば、人からおごられたりということも一切しません。僅かなことで、人から担保を取られたくないのです。何かしてもらえば次には自分の信念の違うことも、頼まれればしなくてはならなくなります。それこそが私にとって一番つまらないことです。
サラリーマンをしているとなかなかそうはいかないことはサラリーマンをしていた私にはよくわかります。だからこそ、信念を貫く生き方をする為に、独立したと言っても過言ではありません。
そういう生き方をする、と昔、山で死んだ寮友と約束したのです。彼が死んでもう23年になりますが、その誓いを日々忘れたことはありません。
彼が死んでから、その倍もの年月を、私は生きながらえてきました。長く生きてきました。
しかし、今でも彼に対して恥ずかしい生き方はしてこなかったと自信をもって言える。社会に妥協せず、軋轢があっても、つっぱり続け、納得がいかないものは文句を言い続け、自主管理・自主運営の旗印の下、生きた生き方を社会に出ても貫くと。
大学の学寮で、狭い部屋で誓った誓いを貫いてきた。
自主・自立、独立し、孤高の存在であり続けることに価値がある。誰の影響も力も受けることなく生き続けることが彼に対する供養であると思って生きてきた。
早く死んだ親友の分もそうやって生きると、23年前に誓ったことを忘れていない。
これからも、自分の思ったことを思ったように発信していきたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント